夕焼けに紅く照らし出された竹林の中、師匠と私は家路へと急ぎ足で踏み慣らされた畦道を歩いていた。
既に夕日は西の彼方の地平線へと沈もうとしていて、夕日はまるで沈み切って姿が見えなくなることに抵抗するかのように、最後に鮮明なオレンジ色の光を発している。そんな夕日の圧倒的な光彩は、この年中薄暗いはずの迷いの竹林にも例外無く届いていて、その枯れた葉に覆われた茶褐色の地面を照らし、その光は私達の周りに青々と反り立つ無数の竹達の、その滑らかな表面をも輝かせる。私と師匠が通り過ぎる度にキラキラと、黄金の煌めきを発する竹。
 「見つかりませんでしたね…」
私は、落胆した声で師匠に語りかけた。もし事態がこんなに切羽詰まってなければ、今頃は散歩にでも洒落込んでいただろう。それ位、今の竹林は幻想的な姿だった。
 「あれだけ探したのにねぇ…。何処に行ったのかしら…」
そう言う師匠の口調には、ずっと幻想郷中を私と駆け回った故の疲労感が、はっきりと滲み出ていた。それでも、こうやっててゐを気に掛けてくれるのだから、流石師匠だと思う。
 「…てゐ……」
薬箱を握りしめる。私達の決意と志とは裏腹に、この時期に需要が増大するだけあって、花粉症の薬は大人気で、妖怪や人間を問わず売れに売れた。
そんなこともあってか、行く前は肩が凝りそうな程に重かった薬箱も、今は片手で軽々と持ち上げられる程に軽く、てゐを見つけることも出来ず、結局私は元の仕事である薬売りに従事していた。
そんな約束破りの罪悪感のせいで、軽い身なりに反比例するように、今の気持ちは重かった。
 「大丈夫…姫様もおっしゃっていたでしょう…?てゐは必ず帰ってくるって」
師匠が私を元気付けるように言ってくれた。
 「でも…やっぱりてゐは…」
つい不安げな瞳で師匠を見てしまう。本当は師匠だって疲れているはずなのに…。表情とは裏腹に、今の私は師匠の優しさには甘えたく無かった。
 「その時は、また一緒に探しに行きましょう?てゐが見つかるまで付き合ってあげるから」
なのに、師匠はどこまでも優しかった。
そんな師匠の優しさに甘えてしまったらどんなに楽か…。私は再び辛さに耐えかねて、師匠の腕の中で泣いてしまうに違いない。
 「はい…。すいません、くよくよしている場合じゃ無いですよね…」
私はそう言って深呼吸をした。そうでもしなきゃ、また涙が目頭から滲んできそうだったから。
 「そうよ…今がどんなに辛くても、落ち込んでばかりは出来ないから」
師匠が私の涙を堪えている様子を分かったのか、私の頭を撫でようとしていた手を引っ込めて言った。今の私は撫でられただけでも泣きそうだった。
 「…はい。師匠」
私は前を見て言う。師匠はクスッと笑ってその私の様子を嬉しそうに見た。
 「そう言えば、お弁当美味しかったわねえ」
私の手に握られている風呂敷で包まれた弁当箱を見て言った。
 「あはは。師匠沢山食べていましたよね」
私はその師匠の言葉に自然と笑みを浮かべて、師匠を見て言った。褒めてくれたのはやはり嬉しいから。
 「ホント。体重計を見るのが怖いわ。」
師匠は屈託ない笑いを顔に湛えながら言う。私もその師匠の言葉に笑った。
 「カロリー計算もしているんですよ〜?」
 「それでも増えちゃったら?」
「その時は責任を取って野菜中心になっちゃいますね」
私は笑いながら師匠に言う。
 「あら?別にいいわよ。優曇華が美味しく作ってくれるだろうし」
悪戯っぽく笑い、師匠は私のジョークに嬉しいことを言葉にして返してくれた。
 「そ、それは勿論ですよ…」
師匠が私の料理の腕を信じてくれてることが嬉しくて、私は照れながら頷いた。師匠は「可愛いわね」と言ってくれた。
 「可愛いって…」
ホントは嬉しいのだけども、私はそんなことなど言えずにさらに顔を赤くして照れてしまった。まあ、こんなことのお陰で師匠に愛されていると実感することが出来るのだけれど。
だから何度も言われていても可愛いと言われたらやっぱり嬉しいし、そんな風に褒めてくれるのが、私の大好きな師匠なのだから、尚更嬉しさもひとしおだった。
 「ふふっ…照れてる」
師匠が可愛いわねえと言いながら、顔を微笑ませながら言ってくれた。
 「うう…」
 
そんなやり取りをしていたら、永遠亭の門前に着いていた。その門もまた、竹林と同じように沈み込む間近の夕日のオレンジ色の光を浴びて、そのジワジワと広がる紋様を持つ黒木の扉が、薄らと光っていた。竹林の煌めくような竹達の持つ輝きとは違って、その扉の様子は何とも言えない哀愁さを漂わせていて、それを見た私の気持ちは自然と引き締まる。
 「着いたわね…」
師匠もそれは同じだったらしい。音を立てて資料を持ち直すと、半開きの門前へとゆっくり歩み寄る。私も慌ててその後に続いた。
運命の時、と言えば大袈裟だけど、実際今の状態はそれに近かった。師匠と私は無言でその中を潜る。恐らくまだ因幡達は畑仕事の最中なのだろうか、中庭や永遠亭の中には誰一人の声もしなかった。
 「今帰りましたよ姫様――!!」
石畳を歩き、玄関に辿り着いて開け放たれたままの扉の中へ師匠は叫ぶ。
私はと言うと、何故か落ち着かなくて、きょろきょろと辺りを見渡していた。
てゐは、やはり居ないのだろうか…。
 「てゐ…」
私はてゐが見つかる訳でも無いのに、背後の生い茂る竹林を見ながら呟いた。
 
 「姫様なら、今ゲームの最中だよ」
聞き慣れた、聞く者全てに可愛らしい印象を与える声。
 「あ、帰っていたのね…」
その声がした後に師匠の虚を突かれた声が背後からして、私は振り返る。
 「お帰りなさい、二人とも」
そこに居たのは、笑顔で玄関口に立っているてゐだった。私は呆気に取られて、てゐを見つめた。
 「何時頃に帰って来たの?」
師匠はそんな笑顔のてゐの前に立つと、私よりも先にてゐに声をかけた。てゐはその笑顔を今度は師匠へと向けて
 「『ついさっき』、だよ…」
そう言うてゐの笑顔が、一瞬だけ曇ったように私には見えた。でも、師匠は「そう…帰って来て良かった」と気付かないのか、それとも敢えて気が付かないふりをしているのか、そう安堵した様子で言う。
 「…ごめんなさい」
てゐは師匠と私に交互に頭を下げて謝る。
 「いいよ、も…」
私がてゐに歩み寄り、そう言おうとした時、師匠に手だけで遮られた。私はその行為の意味が分からなかったけれど、他でも無い師匠の指示だったので、素直に口を噤んだ。そしててゐが、私を見つめているのにも気が付いた。私はそのてゐの視線に合わせるように、黙っててゐを見る。
 「てゐ…。私は構わないから、まずは優曇華に言うべきことを言いなさい。姫様から、全て聞いたと思うから」
師匠は、そんな私達を見ながら言った。ああ、そう言うことか…。師匠のフォローに感謝しながらも、遮ったことの意味を知った私は自然と唇を噛んでいた。
 「うん…」
てゐは頷いた。それを聞いて師匠はよしよしと、一人納得したように頷き
 「じゃあ、私は先に入ってるから」
私に歩み寄り、小さく耳元で言った。
 「分かりました…。あの、ありがとうございます…師匠」
その行為に少しドキリとしながらも、真っ直ぐ師匠を見て私は言うことが出来た。
 「いいのよ。じゃあ、頑張って」
ポンッと私の肩を軽く叩いて、師匠は玄関に向かう。私は、自然とその背中を目で追っていた。
 「姫様から、お師匠様に話があるって」
てゐが私から目を離し、師匠の背中を見て言った。そのせいでてゐの顔が私には見えなくなってしまう。そうだ、師匠ばかり見てはいけない。
 「姫様が…?」
師匠は怪訝な表情をしながら、てゐを見た。
 「うん。今は自室に閉じこもっているよ」
 「そう、分かったわ。ありがとう」
 「いえいえ〜」
師匠は私達に背を向けて、玄関を上がって屋敷の中へと入って行った。
そして私は、気持ちを整えるために深呼吸。
 「……」
てゐは、無言で私へと振り返る。
すると、自然とお互いの視線が交わった。
僅かな距離を挟んで、私とてゐは向き合っていた。私はそんな状況故か、自然と背筋を正しててゐを見つめていた。
 「…お弁当、ありがとう」
てゐは口を開いた。
 「美味しかった…?」
私は、てゐが食べてくれたことに内心安堵を覚えながら聞いた。
 「うん。すっごく…」
てゐが無邪気な笑顔でそう言ってくれる。それを聞いて、私の心の中にとても温かい物が込み上げて来たのを感じた。
 「よかった…。頑張って作ったから」
私は顔を綻ばせながら言う。
 「悪戯してゴメン。…私もしつこ過ぎた」
てゐは苦笑いを顔に湛え、頭を掻きながら言った。普段ならこんな笑顔をするのは、悪戯された後だったから何だか新鮮で、すんなりとその苦笑交じりの言葉を受け止めることが出来る。
 「ううん。私も少し冷たかったから…。嫌だった、よね…?」
その質問には、てゐはしばらくの間答えることが出来なかった。
 「うん…。…怖かった」
やがて、てゐが小さな声で言う。
 「そう…だよね」
それは、てゐの様子を見て今日一日中ずっと思っていたことだった。そして、てゐの今の言葉を聞いてそれを確信することが出来た。
 「鈴仙が私のことを嫌いになったと思って…。理由は鈴仙のことも考えずに、相手にして欲しかっただけなんだけどね…」
てゐは手を前で組んで、落ち着かない様子で私に言った。
 「嫌いになる訳がないわ、だから安心して。…それに、私は貴女を除け物にしないから」
僅かな距離を詰めて、てゐに歩み寄りその頬に触れながら。でも、てゐを心配さなようにと思いながらも、私はてゐがそんなことを言うことに戸惑いを覚えていた。
(嫉妬…?とは言え、私がてゐを不安にさせることをしていたのだろうか…)
私の中を、そんな一抹の考えが過り私のてゐを見る顔が曇った。自覚が無いこと、そしててゐがそんなことを言ってしまうような、原因を作った自分が怖い。気付かないうちにてゐが私の存在を求めていた。そんなことを私は、本人に告白するまで全く気が付いていなかった。
 「でも、最近の鈴仙とお師匠様は凄く、仲が良かったから…」
てゐは自分の頬に触れる私の手を握りながら言う。
 「そんな…。私と師匠はそんな関係じゃ…」
原因がそんなところにあったことに、私は戸惑った。そしたら、てゐは最近どころかずっと我慢していたことになる。
 「じゃあ、鈴仙は寝る前に瞳を閉じたら私とお師匠様のどちらが思い浮かぶの?」
かなり思い切った質問だった。なのに、私は
 「それは…」
私は答えられなかった。だって、私は寝る前に師匠に今日受けたお薬の講習の大事なところや、その時の師匠の言葉と私に対して向けてくれた笑顔を思い浮かべながら、眠りに着くのだから。
 「……」
私は目を伏せた。
 「…ね。そう言うこと」
てゐが、私の様子を見て何故か振り切った声で言った。
私は、答えてもいないのに心中を読み取られて、さらに何とも言えない気持ちになった。ホント、てゐに申し開きが出来ない。
 「うん…」
でも、その相手は目の前に居て、私はさらに言葉が出なくなった。
 「大丈夫だって。私は怒って無いよ…?」
てゐが私の顔を覗き込んで言う。その瞳が何故か沈痛な物に見えて、私は顔を挙げた。
 「でも、私はどっちも大切な―――」
存在とは言えなかった。てゐが私の口をその小さな手の平で塞いだからだ。
 「自分の気持ちに嘘は付かないで…」
てゐは悲しそうな瞳で、私を見て言った。
でも、その悲しみは私の気持ちの在り処に対してでは無い気がした。まるで、私が無理やり自分の気持ちを心の奥に捻じ込もうとしていることを悲しがっているような。そんな悲しみだった。
 「……」
私はてゐに口を塞がれ、言葉が出ない。まあ、出せる言葉も無いのだけども。
 「私は鈴仙が好き…。ううん、この幻想郷で一番大切な存在。愛してるの…」
てゐは顔を真っ赤にしながら言う。
 「鈴仙は…?」
そう言って、てゐは私の口を塞いでいた手を離す。
もう、後戻りは出来ない。そう、私の気持ちは…もう決まっている。
 
 「―――てゐも大好き。でも、私は師匠が愛しいわ。愛してるの、師匠を」
 
 
 
 「分かった…」
てゐは私から距離を僅かだけだが、開けた。
 「ゴメン…」
私は小さく俯く。だけど次の瞬間てゐは、信じられないような吹っ切れた笑顔を私に向けた。
 「ううん!!鈴仙の気持ちが分かってスッキリした」
 「そうなの…?」
私は、てゐの予想していたのとは真逆の笑顔と、その言葉を聞いて驚きてゐを見た。
 「うん。大丈夫、鈴仙とお師匠様なら、きっと幸せになれるって!!」
その珍しいてゐの言葉を聞いた私は、顔に小さい笑いを浮かべた。
 「いいの?本当に」
 「うん、決めてたんだ。鈴仙がお師匠様を選んだなら、私の能力で幸せにしようって」
てゐは私が顔に浮かべている何倍もの笑顔で言う。
 「それって…応援してくれるってこと?」
私が頭の中に真っ先に浮かんだ疑問を口にした。と言うか、師匠はともかく私は兎だし…。まあ、てゐの能力を疑うつもりは無いし、幸せにしてくれる気があるのだから、そこは敢えて聞かないことにした。 
「うん!!お幸せに!!」
その通りだったらしい。てゐの本文発揮と言うところだろうか、でも私はここであることに気が付いた。
 「うん…って、ちがーう!!!!」
顔を真っ赤にして言う。いつの間にか師匠と私が恋人同士になることが決定しているみたいだ。落ち着き始めた私は、みるみる顔を赤くして行く。
 「遅かれ速かれ、いずれそうなるよ〜」
てゐはケラケラと、笑いながら走り出した。
 「なっ…」
私は恥ずかしさのあまり、顔から蒸気が上がりそうだった。
 「私はチルノと大妖精のところ行って来る〜ご飯はいいから〜」
門前で振り返って、手振りながらてゐは言った。
そしててゐは、日が沈み真っ暗になった竹林の闇へと消えた。
 「てゐのバカ…」
あの幸せウサギ…。おかげでこんなにも恥ずかしい思いをしてしまった。
私は溜息を吐く。でも、仲直り出来ただけでもいいかな…。
 「師匠と恋人、かあ…」
師弟を超えた関係。まるで何かの物語みたいだ。でも、そんな夜伽話みたいな熱い関係にも憧れていないと言えば嘘になる。正直なところ師弟の関係を続けながらも、最愛の師匠とそう言う関係をしてみたいと言う想いも、私にはあったから。
「最低でも手、くらい繋ぎたいなあ…」
はあ…と今度は呆けた溜息を吐きながら、私は呟いた。その情景を思い浮かべてみる。だめだ…もうそれだけで頬が熱くなってしまう。
私は自分の頬を両手で包み、目を閉じた。
 
 
 
 
真っ赤に燃える夕焼けは、永遠亭の中をもオレンジ色の世界に変えている。
ただでさえ訪れる者に不思議な感覚を与える屋敷だから、今のこんなオレンジ色に染められた屋敷を普通の人間が見たら己の味わう異質な感覚のせいで、まず言葉を失うだろう。この私でさえも、言いようの無い変な感覚を感じているのだから。
夕焼けの光のせいで、屋敷の暗所が際立っていた。
私は、永遠亭に戻ると姫に呼ばれていたから急いで資料を居間に置き、部屋の前まで来ていた。夕焼けの光を背に障子の前に立つと、私が立つ向かい側の障子に濃い影が映り、そこだけが障子の和紙の白と夕焼けのオレンジが調和した障子の中で一際目立っている。
 「姫」
私はその障子の向こうにいる相手を呼んだ。
 「お帰り永琳。入っていいわよ〜」
障子の奥から、綺麗な声が指でコントローラーをひたすら叩く音と共に聞こえた。姫はてゐの言う通りゲームをしているらしい。
 「ただいま。失礼します」
よく飽きないわねえ…と内心呆れつつも、私は障子を開けて中へ入った。
 「てゐ、帰って来たね」
姫が無表情で画面を凝視しながら、態勢一つ変えずに難しそうなボタン操作を平然とやってのけながら姫は言う。
 「ええ、知ってたのね。その言葉から察するに結構前に帰って来たのかしら?」
 「当たり前よ。まあ、私は元から帰って来るって分かってたけど」
姫はそう言った直後、今度は画面を睨みつけ、ボタンが壊れてしまうのでは無いかと思う程に指でボタンを連打し始める。
私はその姫の様子を見て
 「それで…、私に用事があるのよね?」
姫が呼んだ理由を忘れてるのでは無いかと思った私は、取り合えず聞いた。
 「そうそう。ね、永琳そこ座って」
姫はコントローラーを畳みの上に静かに置いて、あぐらをかいたまま私の方へ体ごと向けた。私は姫の言う通り、姫と向かい合うのに丁度良い場所に正座した。
 「よし。でね、永琳。貴女に渡したい物があるの」
 「何かしら?」
姫は私に背を向けると、後ろにある小籠から二つの小さな薬瓶を取り出して私に見せた。
 「はいこれ。あげる」
私は差し出された二つの小瓶を手に取ると、中が何かの透明な液体で満たされていることに気が付いた。
 「これは何?」
私はその小瓶をじろじろと観察してから聞いた。
 「栄養ドリンクよ。永琳には薬作りを頑張って欲しいから」
 「じゃあ、何故二人分も?」
姫なりの思いやりなのかしら?そう思いつつも、私はそんな素朴な疑問を口に出してしまう。別に違和感などは私の中には無いのだけれども。
 「鈴仙の分よ。今夜も二人で製薬するんでしょ?」
姫はニコリと笑うと、薬瓶を見ながら答える。成程あの娘の分か。なら納得が行く。でも姫には悪いけど私はともかく、優曇華には朝早く起きて朝食を作らなければならない為こんな栄養剤が必要な程夜遅くまで優曇華に製薬を手伝わせる予定は無い。ただでさえ、あの娘が色々と抱えてしまっていたことが分かったばかりなのに。
 「まあ、そうね…。でも優曇華の体調を考えると、栄養剤が必要な程あの娘には夜遅くまでさせないわよ?」
そうは言っても、私は一応貰っておくことにした。大切に栄養剤を持つ。
 「そうかしら?」
姫は首を傾ける。私はコクリと頷いて姫を見ると
 「そうよ。私だって徹夜でもするわけじゃあ無いし…」
声の調子を落としてそう言った。姫の善意に水を差している気がして、何だか悪い気がしたから。
 「な〜んだ。残念」
姫があっけらかんとした口調で言った。私は、その言葉と態度を受けて今度は逆に、私が鈴仙を心配しながらも、姫にも気遣っていた気持ちに水を差された感じがした。
 「もう、さっきから何なの?言いたいことは言いなさい」
私は少しムッとした口調で言う。口調が言い聞かすようにもなって居たから、自分でもそこまで怒ってはいないようだったけど。
すると、姫は
 「いいの?」
不意に私の顔に自分の顔を近づけて聞いた。
 「え、ええ…」
お互いの吐息が掛かる程の近い距離に姫の顔に顔を近づけられて、私は不意を突かれたためか、驚き唖然とした声で答えた。姫は、そんな私を至近距離から真顔で見つめる。
 「永琳は、鈴仙が好き?」
しばらく見つめられた後、姫は口を開き、私にいきなりそんな事を聞いた。
 「まあ、大切な弟子だから…」
私はその問いに、幾分か落ち着きを取り戻していた為かすぐに答えることが出来た。まあ、今私が言ったそれが本音とは必ずしも言えないけれども。
 「弟子としてなの?」
そう言う姫の声色は、何故か残念そうな響きが混じっていた。
何故姫はそんな落胆しているのだろう?
心の中で呟きながらも私には分からなかった。姫がいきなりそんな様子で私に問いかけて来たことの理由が。
 「…そうよ」
これ以上姫のそんな様子を見たく無かったから、私はそんな無難な答えしか言えなかった。一言で言えば、それは私の臆病な心が叩き出した結果でもあったのだけども。
姫は私のその言葉を聞いて、しばらく黙ったまま私を見つめていた。その様子が私に何とも言えない緊張感を与え続ける。
 「ふ〜ん…そう」
姫はやがて口を開いた。だと言うのに何故だろう、私を縛っていた緊張は解けることは無く、むしろさらに私がこの場から動けるようになることを阻んだ気がした。
 「……」
姫の視線が痛くて、それから逃れるように私は黙って俯いた。もう、本音は私の中でその形をしっかりした物にしていたのに。
なのにそれを他人に伝えることが、何だか自分の中の何かを変えてしまかのような気がして、私はそのせいで自分を追い詰めていると知りながらも言うことは出来なかった。
すると姫は、私の服と肩に手を掛けた。その行為の意味が分からなくて、私は顔を見上げて姫を見た。そして姫はひたすらに無表情なことを知る。
 「姫…?」
私はその姫の様子に、ただならぬ物を感じて小さな声で言った。
すると、姫は私の服と肩を掴む手に力を込めて低い声で言う。
 「なら、今ここで私としてもいいよね」と。
 「え?…何を」
だけど、私は言葉を言うことも出来ず、さらに抵抗する前に押し倒された。
そして、姫はその上に電光石化の勢いで馬乗りになって、私の両手を押さえる。しっかりとその動きを抑圧される私の両手。私はと言うと、そのあまりの姫の虚を突いた素早い動きに何も出来ず、混乱から覚め気が付いた時には既に体の自由を奪われていた。
 「ひ、姫?!」
やっと、今の状態を把握した私は慌てて体を必死にもがきながら、脱出しようとその手を押さえる姫の手を払おうとする。
だけど、姫の渾身の力で押さえられた手からは逃れられなかった。畳に腕を押しつけられて、両腕が痛い。このままではやがて腕が痺れて、全く動かなくなる。そう分かっていて必死に逃れようとしているのに、その両腕を押さえている姫の手から力が緩むことは無かった。
 「鈴仙と私、どっちとしたいの?」
耳元で姫は囁く。吐息が掛かりゾクゾクした。鈴仙、と先に言うことが辺りがさらにタチが悪い。
 「何を言ってるの?!意味が分からないわ!離して!!」
そんな感覚が嫌だったから私は、さらに体を暴れさせて言った。でも、姫はそんな生易しい気持ちなどもう私に対しては抱いて無いらしい。
 「ノーコメント?そう、生意気ね…」
そう言って、すでに痺れて上手く動かせなくなった私の両手を、ゆっくり持ち上げて手の上で交差させ、片手でしっかりと抑えつけた。
 「んっ…」
私に逃れられるのを警戒しているのか、空いた片手をそのままにして私の胸元に口を近づける。姫の思った通りになるのは嫌だったけれど、逃れるチャンスは今しかないから、私は身体だけで暴れて逃れようとした。
 「何よ…?嫌じゃないんでしょ?」
姫は空いた片手も使い、私の抵抗を抑え込む。両手が使えず動けない私の動きはそれで完全に抑えられた。
 「嫌よ!分からないの?!」
姫を真剣な瞳で見て言った。
 「分かんない。だって、永琳は私の質問に答えて無いじゃない」
姫はそんな私の言葉と視線を一瞬にして撥ね退けて、さらりと答える。全く動揺している素振りを見せない姫のその様子に私は、姫は本気なのだと悟った。
そして姫は口と歯を使い、一つ一つゆっくり時間を掛けて胸元のボタンを外し始める。
 「ちょ…止めて…」
私は震えた声で言う。しかし、姫はボタンを外すのを止めない。
そのうち私の胸元が露わにされ、抵抗したせいで汗ばんだその肌が外気に晒された。
私は羞恥に顔を真っ赤にして声が詰まり、出なくなる。
 「美味しそう…」
姫は舌を出し、その胸元に自分の舌を這わせた。
 「っあ…!!」
それだけでビクッと体が震えた。そんな私の様子を見て姫はゆっくりと舌を胸元から上へと滑らせて、首筋へと舌を移した。
ぴちゃっ…
私の首筋の上で、姫の舌と唾液が跳ねて小さく水音を立てた。背筋を走るゾクゾクした嫌な感覚。そんな感じが私は嫌だと思った。
無理矢理犯されるのも嫌だったけど、今のこの姫の一方的な行為で感じてしまっている自分も嫌だ。払って逃れてしまえばいいと思っているのに、今の私は途切れること無く迫る感覚に正気を失いそうだった。
 「ほら…そろそろ、本音を吐いたら…?」
姫は私の下着の中へとじわじわその手を滑り込ませて行きながら、再び耳元で囁いた。
―――このままでは犯される。
私は、自分の大切な姫様に弟子に対する想い踏みにじられた上に凌辱される。ずっと大切に付き従って来た主人に。そんなのは絶対に嫌だった。犯されることも、姫を受け入れ鈴仙に対する思いを裏切るのもどっちも同じ位に嫌だった。
「嫌…嫌です姫…お願い…止めて…」
私は涙をうっすら眼尻に浮かべながら懇願した。
 「鈴仙、なのね…?」
最早姫の先入観では無い。私は、コクリと頷いた。このまま黙って姫に侵されるのを堪えることが良い訳が無いと、心の中で色々な物を押さえて認めた答えだった。
 「…そう」
姫は、私のから身体を離して私の体からゆっくりと、何故か惜しむように降りた。
私は、無言で俯いたまま起き上がり正座してから、自由の利かない程に麻痺してしているのに、何故か小刻みに震えていた手で胸元のボタンを閉めようとする。
姫は、先程とは打って変り申し訳無い目でそんな私の様子を黙って見ていた。
 「終わりました…」
何とかボタンを全て留め、呟くような小さな声で姫に告げた。
 「ゴメン…」
私が言うと、姫は深々と私に頭を下げた。
 「貴女の本音が聞きたくて…。本当にごめんなさい…」
土下座に近い態勢だった。私はその姫の様子を見て、それが姫の本音なのだと思う。先程、私を犯そうとしたのはそのせいだったのか…。
それを知って、私は何だか情けなくなった。確かにやりすぎだとは思うけど、いつもでもイジイジと、姫に何と言われるかが怖くて自分の本音を言わなかった私も悪かったから。
それに、姫もとっくの前に自分で抑えて、そのせいで自分でも分からなくなっていた私の「鈴仙が好き」と言う本音を知っていたのだ。きっと私を思ったが故の行動だったのだろうと思う。もしあのまま私が認めなかったら…、姫は自分でも望んでいないのに、場の流れに流されて私を凌辱せざるを得なかったに違いない。
きっとそんなの絶対に嫌だっただろう。
 「気にしないで姫…。顔、挙げて…」
だから、姫が私に謝る必要は無かった。勿論、私には姫を責める権利もその気も無い。
 「うん…」
姫はゆっくり顔を挙げて私を見る。そして次の瞬間、もう耐えられ無いとばかりに、私を抱き締めた。
 「ごめんなさい…貴女も嫌だったでしょう?」
私は抱きしめられ、姫の首筋と肩に頭を置きながら聞いた。
 「…うん。ねえ、永琳…」
 「何…?」
姫は私を抱き締めて
 「前からね、見てて分かっていたの。私が見ているよりずっと仲がいいんだなって…。正直、ずっと従者として私を守ってくれた永琳が、私の手から離れてしまうような気持がして辛かったの…。そんな感情のせいで枕を濡らしたこともあったわ…。でもね、貴方が鈴仙と一緒に幸せそうにしているのを見ると私のそんな気持ちが何故か薄れた。真っ直ぐに貴女を想う鈴仙、そんな彼女を私は憎めなかった……」
私の衣服を強く握り絞める姫。私は、黙ってその話を聞いていた。
 「永琳も、そんな鈴仙を大事にしてたよね。…時々遊ぶことはあったけど。でも、二人で永遠亭のために頑張ってくれている姿を見ていて思ったの、ああ、この二人が幸せになるべきなのかなって。だから、私は永琳と鈴仙が結ばれてもそれを認めることにしたの。だから応援した、背中を押すように、ね…」
話し終えてから姫は、少しお互いの間隔を開けてから私を見た。その瞳は、私を真っ直ぐ見詰めている。
私は話を聞き終え、何か言わなければと思い口を開いた。
 「姫…。貴女って人は…」
だけど、すぐに声が詰まる。それ以上、頭の中で台詞が思い浮かばなかったからだ。それを姫も知ってか、再び私を抱き締めてその胸の中に顔を埋めた。体の成長は止まっては、気が付けば従者を思ってくれる程姫は立派になっている。それを知ったと言うのにもう素直に喜べなくなっていて、胸に当たる頭の感覚が今は何とも言えなかった。
 「……」
私も黙って姫の背中に手を回した。
 「だから…せめて、せめて今だけでいいから私の中に居て……」
姫は私の中で、震えながら声を振り絞って言う。私もその姫の心が痛い程に伝わって、姫を今度は逆に抱き寄せてその胸に抱いた。
 「鈴仙を愛しても…私は何処にも行かない…誓うから…」
その大切な姫の震える身体をしっかりと、抱きしめながら私は言った。
夕焼けは、間もなく沈む時を迎え最後の光を発していた。その圧倒的な光は、夕焼けの意思とは反対に障子越しに私と姫の居る部屋を悲しさを際立てるように、真っ赤に染め上げている。
そんな中、気が付けば私の服が、悲しみを堪える子供のような姫の手によって強く握られていた。
 
 

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