門番の愛 〜それは儚き自己犠牲〜

 

紅魔館の門番である私、紅美鈴には長い門番生活の中で定めた自分へ対する戒律がある。
一つ目は、この門番の仕事に誇りを持つこと。
二つ目は、仕事には責任を持ち、かつ怠惰な仕事態度は取らないこと。
そして三つ目は、この門を守り通すこと。
自分の中では、一番重みのある掟。門番として、ずっとこの門を守り続けて来た私の経験を元に、遥か過去にそう決めて以来今までこの戒律を怠ったことは無かった。
でも、最近はこの一つ目しか守れていない。いや、元より二つ目の戒律に対しては実行が伴ってはいなかったのだけれど。でも、それに加え最近は自分の中に自覚が生まれる位、目に見えて居眠りの回数が増加している。
三つ目なんて、もう実行は夢のまた夢。毎晩の様に白黒はやって来ては、無理矢理門と私を突破して行くし、紅白の巫女などに至ってはもうお嬢様からフリーパスを貰っている。
私の役目は…?そんなことが続いているせいか、最近はそんなことを思うようになった。こんな調子が続けば、私の戒律の一つ目の存在意義すら薄れてしまうかもしれない。
何より、居眠りの回数が増え続けているのも問題だった。寝ていると確実に咲夜さんからのお仕置きを受けるし、寝ている間にも白黒は侵入するのだから。この前、ついにパチュリー様から「貴女も疲れているのね。でも私の小悪魔も同じみたい。何故かしら?」と、皮肉を言われた。その時はとても笑えなくて、次からは通しませんから、と到底無理だと自分でも分かってはいるのにそんなことをつい口走ってしまった。
勿論、白黒にはその日の晩に突破された。
私だって精進しているのに…。暇さえあれば拳の練習をしているし、他の迎撃用の妖精達との戦闘訓練も怠ってはいない。
でも、どんなに最高の状態で挑んだとしても勝つことは出来なかった。
あまつさえ、白黒は私が必死にスペルを繰り出すのを見て逆に、それを楽しんでいるようにすら見える。
 「はあ……」
私は溜まった疲れを吐き出すように、大きく溜息を吐いた。昨夜も突破されたから。だからその時の疲労の分だった。
 「今日も来るのかなあ…」
私は空を見上げて呟く。小さな綿雲が、僅かばかり浮いているだけの澄み渡った蒼空。確かこの空が青いのは、幻想郷には無い海の表面に太陽の光が反射しているからだと聞いたことがある。
私は、湖や沼は見たことはあっても、海なんて物は生まれてこの方一度も見たことが無い。だから、あまりに遠い存在を思うそんな思考には、今の私には何の意味も無かった。
でも、もしこの空に高く飛翔して決界を超えて行けるなら、そんな海を見ることは出来るのだろうか…?
もし天狗や吸血鬼みたいに立派な翼があったら、色んな事を忘れてひたすらこの蒼い空を飛んでしまいたい。あまりに無理な願望だったけれど、疲れていた私には、そんな願望はあまりに魅力的だった。
綺麗な春の日差しが、燦々とそんな想いを巡らせる私に降り注ぐ。晴れの上に無風と言う天候のお陰で、遠くの小鳥の囀りが良く聞こえて来た。たまに湖から朗々と響き渡る鳶の鳴き声も心地よい。
こんな綺麗な情景があるから、つい居眠りをしちゃうんだよね…。
私はそれらの情景に身を委ねるように、目を閉じた。
身体全体が暖かい物に包まれているかのような感覚。それは一時だけとは言え、私の疲れも、心労も全てを包み込み忘れさせてくれる。
 (これが、私の飛翔…)
高く舞い上がることは出来なくても、私にはそんなふわふわとした温かい感覚だけで十分。
目を閉じているのに何故か目の前には光が満ちていて、そんな明るさを感じながらも私はうとうととしながら、腕を組んだままその心地よさの中へゆっくりと落ちて行った。
 
 
 
 
 「…ん…めい…り…ん…」
柔らかな白い意識の中、何処からか私を呼ぶ声が聞こえる。私はそんな声から逃れるかのように、身体をその白の中で動かした。
やがて、綺麗な細くて暖かい何かが私の身体に触れる。私の意識が現実から離れた場所にあるからだろうか、その手の感覚は私を現実に引き戻そうかとしているかのようで、触れられてあまり良い感じはしなかった。
 「―――起きなさい…」
そんな声が白の中で響く。
私はその声に何処か見覚えがあると思った。
 「―――美鈴…」
その声は、私の名前を呼んだ。こんな呼び方をするのは、館の住人だけ。恐らく、私の知り合い。そして、名前を呼びながらわざわざ私を起こそうとするのだから知り合いの中でも、かなり距離の近い人。
その綺麗な透き通った声は、まるで子供をあやし慣れているような落ち着いた口調で修飾されている。
―――起きなきゃ。
その声を聞いた私は、そんな半ば義務にも近いモノを感じた。
 「……」
やがて私は、ゆっくりと瞼を開いた。いつの間にかふかふかした草花の感覚が私を包むようにして囲み、私はその草花の中に、崩れ落ちるようにして横たわっている。そして、目の前にあった花と草のツンッとした香りが寝起きの私に現実に戻ったことを知らしめてくれた。
 「あ…」
私は自分の横たわっている身体に、濃い影が掛かっているのに気が付いた。
もしやと思いながら、そのまま恐る恐る、のっそりと身体を起こして顔を挙げてその影の主を見る。
 「おはよう美鈴。貴女もすっかり大胆になったわね」
そこに居たのは、仁王立ちのまま真顔で私を見下ろしている咲夜さん。私の寝顔を見ながら、ずっとそこで起きるまで監視していたせいか、足元の草花はすっかり踏み固められていた。
 「あ、ち、違うんですこれは…!!」
私は慌てて飛び起きると、咲夜さんへ弁明を試みた。そして、一気に飛び起きたせいか視界の殆どを覆い尽くす程の、強烈な立ちくらみが私を襲った。そのせいで呂律が回らなくなって、私は自分でさえ何を言っているのか分からなくなる。
ああ、どうしよう。絶対咲夜さん怒ってる…。立ったまま居眠りしていたならまだしも、こんな寝転がって寝てしまったんだから。それにしてもこんな居眠りなど初めてだった。これではむしろ本眠に近いかも知れない。
 「美鈴…」
咲夜さんが慌てふためきながら、呂律の回らないままひたすら謝罪と説明に走る私の言葉を遮ろうと、名前を呼んだ。
 「…はい」
私は名前を呼ばれた途端に、言葉を切って咲夜さんの視線から逃れるように俯く。ああ、もうダメだ…。また痛い思いをするのかな…。でも完全に私が悪いのだけれど。
そして、私はこれからお仕置きを受けることを悟って、俯いたまま目を閉じる。
 
でも、少し待ってもナイフが空を切る音も、ナイフが擦れる音も全くと言って良いほどしなかった。私はそれがもっと怖いお仕置きがあると暗示するモノだと思った。
私は目を食い縛る。
―――ゴツン
 「イタッ…」
でも、私に下されたお仕置きは予想していたモノとは全く違うモノだった。ナイフなどの鋭い痛みとは違う、頭にジンジンと広がり来る鈍い痛み。それは主に、私の頭の表皮などの浅い所にじわじわと沁み渡った。
 「う〜痛いですよ〜…」
私は目を潤ませながら言った。そりゃ、ナイフなどの悶絶するような痛みに比べたら、全然マシな物だったけれども。
 「貴女が悪いんでしょ。それとも口応えするの?」
咲夜さんはそう言うと、私の頬を指で摘まみ、指先に力を込めて引っ張った。横に伸びる私の頬。引っ張られたところよりも、摘ままれているところの方がずっと痛い。引っ張られた頬は鈍い痛み、そして摘ままれているところからは鋭い痛みを感じた。
 「ご、ごめんなさい…!もう二度としまへん…」
私は、されるがままになりながら言う。私と咲夜さんでは、身長的に私の方が大きいので傍から見ればきっと今の状態を見た者の目には、さぞかし奇異に映るだろう。でも、今の状態が一番良く私と咲夜さんの立場の差を表していた。
上司と部下。そんな関係だけれど、それ以外にも実力とか、使用人としての能力差とか、もっと大きくて色んな立場の差がある。私が今、咲夜さんに対して勝っているのはせいぜい身長位だろう。
 「本当?信じていいのかしら?」
咲夜さんは、私の頬をつねっている力を弱めると真っ直ぐ私を見たまま聞いた。
 「うう…善処しますからぁ…」
涙目になりながらも私は、台詞に訂正を入れて咲夜さんの言葉に返した。すると、咲夜さんは少し私の言葉に顔をしかめながらも、頬をつねっている手を離してくれる。
 「はあ…善処、ねぇ…」
そして、その後私が痛そうに、紅くなった頬を擦っている様子を見ながら咲夜さんは言った。
 「今日は本当に眠くて…でも次からは気を付けます…。ごめんなさい…」
私は頬を押さえながら小さく頭を下げて、小さな声でそう言った。
 「疲れている、と言いのかしら?」
咲夜さんは真面目な顔で聞いた。私はその表情と言葉を聞いて、反射的に
 「あ、いえ…そう言う意味では…」
と言って、その自分から漏らした本音をつい否定しようとしてしまう。
それに、咲夜さんの方が私の何倍も労働していて私よりもずっと疲れが溜まっているはずなのだ。でも私はそれを忘れ、私の溜まっている疲労など咲夜さんにとっては大した疲労では無いのに、私は仕事を忘れ疲れていたと言うだけで居眠りをしてしまった上に弱音を吐いてしまった。今の私にとても本音など言える訳が無い。
 「別に無理して気持ちを閉じ込めなくてもいいのよ、美鈴?」
なのに、咲夜さんはゆっくり私に歩み寄ると、逆に私を気遣うようにして聞いてくれた。
 「でも…」
私は何だかそんな咲夜さんの気遣いが、果たして自分に向けられていい物かと思って咲夜さんに躊躇した様子を見せた。
 「疲れているのは、言われなくても分かるわよ…。だから、何が美鈴をそんなに疲れさせているのか私は知りたいの」
 「咲夜さん…」
きっと咲夜さんなりに私を気遣ってくれているのだろう。その口調には、いつも私に接している時に良く見せる、機能的な仕事らしさは感じない。むしろ優しさすら今の私には感じた。
 「…怒らないわよ」
咲夜さんは俯いている私に、そう言う。
怒らない、と言うその言葉を聞くと私は、顔を挙げて咲夜さんを見た。 
「実は、最近白黒にずっと門を突破されていて…。それも毎日のように。だから最近は、いまいち寝る時間が無くなっていて…」
「えぇ…」
「こんなこと言うのも何ですけれど、多分プレッシャーを感じているのかなって…」
私は両手の全ての指を前で複雑に絡ませて、慎重に咲夜さんの気分を害さないように言葉を選ぶことを意識しながら、話した。お陰で、少し文に同一性が無かったけど。
でも、咲夜さんが黙って聞いているのを確認すると私は続ける。
 「どんなに鍛練した上で迎撃しても、勝てなくて…。最近では自分の門番としての誇りに泥を塗られているような気分になって仕方無いです…」
私は、気が付けば肩を落として言っていた。それ位、白黒のせいで私は大いに悩んでいたし、疲れも白黒が頻繁に来るようになってからは桁違いに増している。でもそうは言っても、やっぱりそれは咲夜さんも同じだと、私は思った。
 「大丈夫。貴女は立派な門番よ」
咲夜さんは、私の言葉を聞き終えるとそう言いながら小さく笑った。
そして柔和な笑みを顔に浮かべたまま、私を安心させるような口調で始める。
 「白黒に突破させるのは仕方無いじゃない。私だって勝てないのだから。それに貴女には悪いけれど、私は侵入したとしても、もう相手にしてないのよ。勝手にしてって感じね…。なのに、美鈴は凄く頑張っている」
 「でも、居眠りしていたのは事実ですし…」
別に自虐しているとか、悲観しているとかでは決してない。咲夜さんに認められているのが、何だか素直に受け止められなかっただけだ。
咲夜さんの手が私の頭の上へと迫り、私はつい反射的に目を閉じて少し顔を前へ傾けてしまう。でも、それは私の思い違いだった。その証拠に、私の頭には先程のゲンコツとは違った感覚が伝わる。
それは、柔らかい感覚だった。ゆっくりと優しく咲夜さんの手の平が、私の頭に乗せられていたのだから。
 「確かに。でも、貴女が館の為に身体を張って全力で門を守ってくれていることも、同じように事実よ」
咲夜さんは、私を労わるように頭を撫でてくれた。その感触が何だか心地よくて私は、今度は静かに目を閉じる。咲夜さんに努力を認めて貰ったことも嬉しかったけれど、それ以上に咲夜さんの優しさが、今の私には凄く嬉しかった。
 「だから私は、これ以上追及しない。美鈴の努力は褒めてあげられるけれど」
咲夜さんは私に囁くように言う。
目を開けると、咲夜さんは笑っていた。
私は、そんな珍しくて素敵な笑顔を見て、今までの気持ちの中に言いようの無い気恥かしさが生まれる。
 「えへへ…慣れませんよ、きっと」
私はそう言いながら照れ笑いをすると、咲夜さんに言った。
 「えぇ、いいわよ。でもその代り、どんなに負けても門番の仕事に対する誇りは失わないでね…」
咲夜さんはそれだけが気がかりだったみたいで、私に誓わせるかのように言う。勿論私には、どんなに白黒に負けても誇りは失わないと言う気持ちはある。でも、咲夜さんとこうして話したことで、私のその誇りを守ろうとする意識はさらに高まった。
咲夜さんのお陰。だから私の中には、負けても諦めないと言う不屈の闘心が生まれていた。
 「はい!私頑張ります。約束しますよ、咲夜さん」
咲夜さんは笑顔で頷く。
 「えぇ。私もお仕事を頑張るわ。だから美鈴も頑張ってね」
 「はい!!」
私も、咲夜さんの笑顔に負けない位に、自分の出せる最大限の笑顔で頷いた。
すると、咲夜さんが思い出したように銀の懐中時計を取り出して、それに目をやる。そろそろお仕事に戻るのかな…。そう言えばそろそろ私もお昼休憩の時間だっけ。咲夜さんはいつも何処でお昼を取っているんだろう?
咲夜さんの時間を気にする仕草を見ながら、私はそう色々なことを思う。どんな多忙な咲夜さんでも、お昼を取る時間位はあるはず。
 「ねえ、美鈴…」
咲夜さんは懐中時計をしまうと、私のことを見ながら聞いた。
 「あ、はい。何ですか?」
私は慌てて思考を破棄すると、咲夜さんに向き直って答えた。
そして咲夜さんが、先程の私みたいに何かを躊躇する素振りを見せていることに、私は気が付いた。咲夜さんも、やっぱり何か悩みがあるのかな…?私は、咲夜さんの、珍しいその仕草を見てそんな当たり前のことを思う。
 「貴女って、これからお昼休憩、よね?」
 「はい。そうですけれど…」
咲夜さんの意外な問いに私はコクリと頷く。すると咲夜さんは少し安堵したように頬を緩ませて、次にまた元の表情に戻った。
そして数秒後、咲夜さんはちらちらと私を見ながら
 「実は私も珍しくこの時間にお昼休憩を貰ったのよ。それで、これ…」
咲夜さんは何処からかお弁当箱を取り出すと、気恥かしそうに頬を赤らめながらそれを私に差し出した。
私は目を丸くしてその弁当箱を見つめる。もしかして…
 「えっと…」
私もちょっとだけ、咲夜さんの気持ちが分かって頬を朱に染めると頭を掻いた。
 「ご、誤解しないで…。ついでだから一緒にお昼を食べたいなって、そう思っただけよ」
咲夜さんは、私に弁当箱を差し出したままそんなことを言う。その顔はすっかり赤くなってしまっていた。私だって、予想外の咲夜さんの申し出に恥ずかしそうに頬を赤らめている。でも、自分から申し出て来た咲夜さんの方が、ずっと恥ずかしいだろうけれど。
 「だ、大丈夫ですよ…。い、頂きます」
私はそう言うとその弁当箱を掴むと、咲夜さんからしっかりと受け取った。
咲夜さんは、それでやっと安堵出来たみたいで、私に対して小さく笑い掛ける。私も咲夜さんと違ってまだ気恥かしさは残っていたけれど、その笑顔に答えるように照れ笑いを浮かべた。
 「じゃあ、あの木陰で食べない?」
咲夜さんが、私の守る門から近くの位置に生い茂っている大樹を指差して言う。
あの木陰は、私が良く真夏の炎天下があまりに耐え難い時に避難場所として利用している木だ。あそこなら確かに門から誰かが侵入しようとしても、すぐに発見して駆け付けることが出来るし丁度いいかも知れない。
―――でも
 「う〜ん。あそこは影が濃すぎて今の時期ではまだおススメ出来ません」
私がゆっくり吟味するように言うと、その私の様子に咲夜さんは少し驚いた顔をした。
 「へえ…流石と言うか詳しいわね、美鈴…」
でも、顔に浮かべる表情と裏腹に、咲夜さんの言葉は感心している響きを持っている。
 「あ、すいません…。咲夜さんがいいなら大丈夫ですよ…」
私は、そんな咲夜さんの態度を受けて、つい出しゃばったことを言ってしまったのではと思った。だから少し身を縮めて言う。私は部下。こんな真っ向から意見するようなことを言える立場では無い。
 「いいえ…。美鈴が私の為に言ってくれたんだもの。別に気にしてないわ」
咲夜さんは、私にそう言うと辺りを見渡す。私はと言うと咲夜さんに任せることにした。落としたり、勝手に消えてしまう訳でも無いのに、お弁当箱を大事に抱えて咲夜さんの隣に立つ。
しばらくすると、咲夜さんが苦笑いしながら私を見て言う。
 「折角の晴天だし、ここで食べましょうか?」
 「あはは。そうですね。天気も気持ちいいですし」
私も笑ってその申し出を受けた。
 
 
 
 
お食事中、私達はお弁当を突きながら談笑を楽しんだ。お嬢様のこと、お仕事のこと。
白黒のことになると、自然と話が盛り上がったのはやはり私達にとって共通の脅威だからだろうか。それに、咲夜さんが思った以上に紅白の存在を許容していることも意外だった。何だか、咲夜さんのことがもっと色々分かって、それに咲夜さんも咲夜さんなりに館のみんなのことを考えてくれているんだなあ、と思えた。
流石にプライベートの話は、お互いにしなかったけれど。いくら御邸勤めとは言っても、お給金と同じようにプライベートはあるし、保障されているから。
 「ん…」
そよそよと風が小さく吹いて、咲夜さんは心地良さそうに目を閉じた。私は美味しそうにお弁当を食べていたけれど。
 「気持ちいい所ね…」
咲夜さんは目を細めながら言った。再び心地良い風が吹いて、髪を手で櫛ながら咲夜さんは息を吐く。
 「はい。とっても素敵な情景です」
私はお弁当を食べ終え、箸を置くと言った。今、私達の目の前には目一杯に太陽の光を受けて輝く湖と、その大きな水面が映っている。そして、その向こうには青々とした山波があり、それらの木々の木の葉達もこの小さな風を受けてそよそよと濯いでいた。
先程の鳶は今だに、飽きずに湖の上の上空を旋回している。
さっきと同じような、朗々と澄んだ鳴き声が聞こえた。あの旋回する鳶の鳴き声だ。
 「ホント…。居眠りはいけないけれど」
咲夜さんは、そう言って悪戯っぽく笑った。
 「う…そうですね。でも…」
 「ん?」
咲夜さんは気持ち良さそうに、目を閉じながら聞いた。
 「咲夜さんも眠りそうですね」
私がお返しとばかりにクスクスと笑いながら言うと、咲夜さんは慌てて瞼を開けた。どうやら図星だったようだ。まあ、無理も無いかな。私の疲れでもこんなに眠くなってしまうのだから。毎日多忙に身を追われている咲夜さんが、眠りそうになっても無理はない。
 「ええ…。本当に寝てしまうところだったわ…」
そう言って咲夜さんは、私の持つ空になった弁当箱を見る。
 「あら。もう食べ終えたの、美鈴?」
 「はい。すごく美味しかったですよ。流石咲夜さんですよね〜」
私は嬉しそうに咲夜さんの言葉に答えた。すると咲夜さんは小さく嬉しそうに笑う。
 「もう、誉めすぎよ」
照れているのが、はっきりと今の私には分かる。でも、それは事実だ。咲夜さんのお弁当は私がいつも食べている使用人用の賄い料理よりも、ずっと美味しかったから。それに、物凄く味も手が込んであって、流石お嬢様達にお料理をお作りしているだけはあるなあ、と思った。
だからつい、そんな料理を私が食べていい物なのかなと思ってしまう。
 「ホントですよ〜。感心しちゃいました。恥ずかしがらなくていいのに」
私は屈託の無い笑顔で言う。折角の機会だから咲夜さんと料理について話してみるのもいいかも知れない。
咲夜さんはやがて、私の見せていたその笑顔を照れ笑いに変えた。
 「だって…」
 「はい」
私はその照れ笑いの咲夜さんが可愛くて、笑顔を向けて聞いた。
 「ううん。やっぱりなんでもない。気にしなくていいわよ」
そう言って、咲夜さんは何処かに弁当箱をしまう。私は相変わらず気になってはいたけれど、咲夜さんの言葉だけに、それ以上は何も聞かなかった。
でも、試しに最後に一回だけ。答えてくれないとは分かっているけれども、少しの好奇心から私は訊いた。
 「気になります〜。それでもダメですか?」
咲夜さんは、私の問いに唸りながら考えた後しっかりと頷いた。
 「ええ、秘密」
咲夜さんは、キッパリと言った訳では無い。咲夜さんにしては珍しく、まるで私の気分を害さないように気を使っているみたいな口調だった。だから尚更気になってしまう。
でも咲夜さんは、そう言って前を見てから、懐中時計を取り出して時間を確認した。懐中時計のフレームが反射して目に眩しい。時間も見れなかった。
咲夜さんは、時間を確認し終えると、パチッと音を立てて名残惜しそうに懐中時計をしまった。もう昼食休憩が終わる時間が来たのだろう。
 「時間、ですか?」
私が聞くと、咲夜さんは黙って頷いた。まるで寂しさ故に言葉が見当たらないようなその様子に、私は同じように少し寂しさを感じる。
 「そう、ですか…」
出来れば別れ際まで笑い合っていたかった。なのに、気持ちとは裏腹に少しだけ眉を伏せてしまう。こんな寂ささえなければ、きっと笑えたはずなのに。
咲夜さんは、懐中時計を手に持ったまま私を横目で見ている。
「また今度も来れたなら、こうして美鈴とお昼を一緒に食べて貰ってもいいかしら?」
咲夜さんは、懐中時計をしっかりと懐にしまうと私を見て言った。
いきなりの申し出だったけれど、その言葉を聞いた途端に私は顔を輝かせて咲夜さんを見た。 
「はい、大歓迎です!」
私は、咲夜さんの申し出が嬉しくて、喜んで承諾する。私の寂しさは音も無く消え去っていた。
 「よかった。…あ、お弁当箱は私が洗うわよ」
咲夜さんも、私の答えを聞いて嬉しそうに笑うと私の元の形に戻してあった弁当箱を手に取る。
 「あ、私が洗いますよ」
私が食べさせて貰ったんだから。だから私が責任持って洗いますよ。そう言いたくて咲夜さんの弁当箱を見ると、咲夜さんは私が言いたいことを分かっていながらも、弁当箱をしまってしまう。
 「大丈夫よ。一緒に食べて欲しいって言ったのは他でも無い、この私なんだから」
 「う〜そうですけれど…」
咲夜さんの手が私の頭を再び撫でる。
 「いいの。じゃあ、私はお仕事に戻るから。美鈴も頑張って」
そう優しく咲夜さんは言うと、ゆっくりと立ち上がった。私はまた来ると言う咲夜さんの約束もあったから、笑顔で「はい、咲夜さんも…」と言って私は送り出すことが出来た。多分、咲夜さんの優しさとそんな約束が無いと、私は笑顔で咲夜さんを送り出すことが出来なかっただろう。
 「勿論よ」
咲夜さんは、最後に一回だけ笑顔を私に向けると、静かに背を向け地面の草花を踏み鳴らしながら館の裏門へと歩いて行った。
私は、だんだんと小さくなって行くその背中をずっと見ていた。結局咲夜さんは、私に褒められた時に、何と言いたかったのだろう?それだけがどうしても気になって仕方が無かった。
でも、私は咲夜さんのお陰で、気力もやる気も充実している。だから、私は
 「よしっ!!頑張ろう!!」
蒼い空に向かって手を挙げ、叫ぶと一人門の前で溢れんばかりの気力を発散せんと、鍛練を始めた。勿論、あの白黒を撃退する為でもあったから。
もし撃退したら、咲夜さんは褒めてくれるかな?私はそんな期待に胸を膨らませていた。
 
 
 
 
 
 
 
次の日。今日は昨日の晴天とは打って変り、すっかり空はその模様を変えている。厚くて濃い灰色の雲が空一面を覆い、幻想郷中に濃い影を落としていた。
でも、それだけならまだいい。問題はその空から地面に向かって叩き付けられるような、強く激しい雨。それらは視界が非常に険しくなる程の視界不良を私にもたらすばかりか、私が門前に立ち続けることを困難にする。
侵入するには持って来いと言った天気だ。巡回している他の妖精も雨になると勝手に屋内に引っ込んでしまう。だから、実質今野外にいるのは私だけ。
 「イタタ…」
私は今、そのあまりの雨量に耐え切れず門の脇の大樹に雨宿りをしている。
私はその大樹の下で雨水が叩き付けられ、身を切るような冷風のせいでじんじんと赤くなった腕を擦った。だけど、粘り付くような雨水のせいで擦るどころか、ベタベタと私の手の平が腕の表皮の上で滑るだけで、全く暖かくならない。
服は雨水のせいで、肌に密着していてその感覚が気持ち悪い。まるで、身体全体を何かに触られているみたいだ。せめて濡れた髪の水滴くらい落としたくて、私はポケットから濡れたハンカチを取り出して、渾身の力を込めてそれを絞った。
ボタボタと水滴が落ちる。
 「ふう…」
私はその幾分水気の落とされたハンカチを手に、その長く紅い髪を髪の上から下に掛けて、労わるようにゆっくりと拭いて行く。
やがて全て拭き終えると、再びハンカチが多くの水気を含んでいた。再び濡れたハンカチの重みが、その水気の多さを物語っている。
私は再びそのハンカチを絞り水気を落とすと、今度はそれを腕に宛がってその粘り付き、私の身体を濡らしている雨水を拭き取り始めた。かじんでいたせいか、それだけで私は拭く度にじわじわとした痛みを感じる。拭いたところはさらに赤く、そして染みるような鈍い痛みが生まれて私は顔をしかめながら拭き続ける。
だけど、痛みが私の疲れた意識を明瞭にさせた。
意識がはっきりしてきて、私は背筋を張って身体を拭きながら、ふと辺りを見渡す。
私の今いる木陰は、雨がひたすら叩きつけられている外よりも遥かに暗い。悪意ある者が、今私の背後を取ろうとしたらこの辺りの暗さのせいで、それは容易だろう。
そして外はこの視界不良。遠くにある大きな山々も、霞が掛かってぼんやりとしか見えない。おまけにこの雨音は近づく者の足音すら隠すだろう。
きっと今襲われたらひとたまりも無い。実力にもよるが、今白黒が私を襲えば造作も無く勝てるはずだ。何より、私はこの雨のせいで体温が下がり弱っている。
だからこの大樹の影で雨宿りをしているのだけれど…。いかせんここは死角が多すぎる。その上不気味。上から滴り落ちる冷たい雨水も、確実に私の体力を奪っていた。
 「うう…」
私は両手に息を吐きかける。指先が痛い位にかじんでいた。
 
その時。
何かが私のいる門前に向かってくるのが見えた。こんな雨の中に誰だろう?
私は不審に思って、木陰の中で身構える。もしあちらか仕掛けて来ても、身構えていればすぐに対応出来るから。
そのシルエットは、歩くようなペースでこちらに向かって来た。その流暢な動きを私は鋭い目付きで、黙ったまま監視する。視界が悪いのはあちらも同じだったみたいで、まだこちらには気が付いていない。
いや、むしろ辺りに気を配っていないのだろうか。今、全く何かに警戒する様子などそのシルエットからは感じない。
そんなシルエットは、雨だけに傘を差していた。そして、その大きな傘の中に二人分の姿が、肩を寄せ合うようにして入っている。
 「相合傘、かあ…」
私は、その姿を見てそんな呑気な言葉を呟いた。仲良く相合傘をして侵入する存在が何処にいるだろうか?少し杞憂だったかな。そう思った私は、構えは解いてはいなかったけれど、観察を止めた。
でもこんな雨の日に一体誰だろう?日を改めればいいのに、わざわざ傘まで差して来るだなんて。
やがて、その相合傘をしている来訪者の姿をはっきりと見た。
あれは…。永遠亭の薬剤師とその弟子の兎だ。薬剤師の方は傘を持ち、弟子の兎は重そうな薬箱を器用に両手で持っている。あの体付きで重くは無いのだろうか?
 「取りあえず、向えないと」
雨に濡れるのは嫌だったけれど、ここに居る訳にはいかないので、私は仕方なくその叩き付けるような雨の中に身を踊り出した。
永遠亭の二人も、私に気が付いたようだ。私が現れた途端に、門前で立ち止まると私に視線を向ける。
再び濡れる髪と身体。私は冷たい雨水の感覚に耐えて二人の前に立った。そんな私を薬剤師の方は、至って落ち着いた様子で見続ける。逆に隣の兎は、真逆こんな雨の中、門番がいるとは思っていなかったのか、驚いた様子で私を見ていた。
 「あら、紅魔館の門番は真面目なのね。お陰で呼ぶ手間が省けたけど」
薬剤師がそう言って、濡れた私の姿を見る。
 「何か、御用ですか?」
私は雨水が身体のありとあらゆるラインを辿って流れ落ち、それが言葉とは裏腹に不気味さを煽っていることを知りながらも、敢えてそれを意に介せずに聞いた。
 「ええ。ここの住人の診察と診療よ」
薬剤師は私を見ながら答えた。私は頷く。手はぶらぶらと肩から下げている。
 「どなたのでしょうか?一応、お教えして頂けると有難いのですけれど…」
別に疑っている訳では無い。ただ、この館の中に診察と診療を必要としている住人が思い浮かばなかったからだ。別に通せと言えばすぐに通すつもりだ。
 「それはダメ。貴女の主人からついでにそう頼まれているから」
そう言って、私に歩み寄って来る。弟子の兎も慌ててその後に続いた。
 「私だけに、ですか?」
私が門前に直立不動のまま立って言うと薬剤師は、はぐらかすように「それも秘密。これも仕事なのよ?」と言って私の前で立ち止まった。
 「…分かりました。今、お通しします」
私はイマイチ納得がいかなかったけれど、仕方無く天候故に閉じられていた門を開けるために鍵を取り出すと、それを鍵穴に差し込んだ。
そして鍵を開くと、両手で滑らないようにしっかり掴みその重い門を後ろに引いて開ける。大きな音を立てながら大仰に開けられる門扉の、黒い塗装が施された鉄柵の冷たさが手に痛い。
 「どうぞ」
私は、門扉の横に立つとそう言って二人を促した。
 「ありがとう」
 「ありがとうございます」
二人はそう言って、私に軽く一礼をすると門の中へと足を踏み入れ、館の敷居を跨いだ。
 「いえ、それではお願いします」
私も一礼を返すと、そう言った。途端にうなじに雨水が当たって、首に凄く変な感じがした。
 「ええ、任せなさい。必ず救ってみせるから」
 「―――え?」
私は、その言葉の意味が一瞬理解出来なくて、顔を挙げてその門から去り行く二人の背中を見つめた。だけど、薬剤師が振り返ることは無く、弟子も歩みを止めることは無かった。
やがて、館の本館の扉が開きその明かりの満ちる館の中へと二人は消えた。
 「……」
私は、門を開けっ放しにしながら、雨に打たれながらも先程の薬剤師の言葉が頭を離れ無くて、その場に立ち尽くしていた。
 「救う…?」
私は呟く。その呟きだけで、顔に纏わり付く雨水が口の中に入った。私はそのしょっぱい雨水に顔をしかめる。そして、そのしかめっ面のまま館の明かりを見つめた。
私が知らない何かが館の中で起こっている…。何だか、一人置いてきぼりになっている気がした。私だってここの住人なのに…。
門番と言う職業柄、私は館の中の変化でいつも蚊帳の外だった。
私が館の変化に気づく頃には、それが館の中での『当たり前』になっていて、白黒の侵入もそんな『当たり前』になっていることを私が知った時には、侵入してもそれを無視することが館の中の常識になっていたことが、それをありありと物語っている。
でも、こんな風に『私限定』の塞口令が敷かれたのは、初めてだった。
 「……」
私は、言い様の無い寂しさを感じていた。暗い雨の中、私は館の窓から漏れる明かりから視線を離して、一人とぼとぼと、雨宿りをする為に大樹の影へと戻る。
何を隠しているのだろう、何故私は知ることを許されないのだろう?
寂しさと一緒に、そんなやり切れない気持ちが生まれて、私は大樹の幹を背もたれに影の下でしゃがみ込んだ。
視線は、泥濘と化した地面に落して。
 
 
 
やがて辺りに雨水を叩きつけていた雨は、時間を経るごとに弱まって行った。
そして、私の佇む大樹の外の地面に出来た水溜りに一筋の光が伸びる。
 「止んだかな…」
私は、静かに起き上がると大樹の影を出て空を見上げる。
もう、空を灰色に染めていた雨雲は、去っていた。代わりに、空は暗い茜色に染まりその空に、所々細長い灰色の層雲が漂っていた。
こう言う空は好きじゃない。このいろんな色が混ざった空の色を見ていると、原因の分からない哀愁が心の奥から込み上げて来るから。こんなことがあった後だから、それは尚更だ。
私は、その空を見上げたまま鼻を啜る。
 「辛くなんかない…」
私は、熱くなる目頭から溢れそうになるモノを、心の中で抑え付けるとそう呟いた。いちいち、こんな寂しさなんかで泣きたく無かったし。泣いたら負けだと思ったから。
私は芯まで冷えた身体を擦る。もう身体は寒い上に、服もびっしょりと濡れていて髪もパサパサだった。早く部屋に戻ってシャワーを浴びたい。どうせ今夜も夜勤になるだろうし、今のうちに仮眠を取って置いた方がいいだろう。
私が、シャワーを浴びて、仮眠を取るために詰め所に戻ろうとした時だった。
門の奥から水溜まりの水を踏み鳴らして歩いて来る音がする。
多分、二人分だから永遠亭の人達だろう。私は、遥々ここまで来てくれた方に、そのまま何も言わずに詰め所に戻る訳にも行かなかったので、その音がする方へと振り返った。
 「お疲れ様でした」
私は疲れた笑顔で言う。この笑顔でさえ今の自分が最大限に振り絞って出来たに過ぎない。それ位、今の私は弱っていた。そして案の条、そこにいたのは薬剤師とその弟子の兎だった。
 「えぇ、貴女もね」
薬剤師の方も少し疲れを滲ませた声で言った。隣の兎などは、今や憔悴した面持ちで付き従っている。何かあったのだろうか…?
 「何か、ありましたか…?」
私は、そう聞いた時に薬剤師が一瞬だけ私のことを、情けを含んだ表情で見たことを見逃さなかった。
 「いいえ。長い距離を移動して来たから疲れただけよ。診察は無事終えたし」
薬剤師はそう言うと、ついに疲労が限度に達したのか前に倒れそうになる、隣に付き添う弟子の兎を抱き抱えた。
 「そうは見えませんけれど…。それに…、終えたのは診療、だけですか?」
私はそんな弟子の様子を見て、とても移動だけの疲れでは無いことを見抜き、そう聞いた。何が何でも聞き出してみせる。知ることを主人から直々に禁じられた私は、寂しさを誤魔化す為にそんなことを考えていた。
薬剤師は、目を閉じてぐったりしたままの兎を両手で優しく抱き抱えると、そんな私を横目で見る。弟子と同じように疲れてはいても、その瞳は何処までも冷静だった。
 「さあ…。でも、これだけは言いましょうか。最善は尽くしたわ」
そう言って薬剤師は、私が反応するよりもずっと早く飛び上がった。私はその動きに対応出来なくて、易々と距離を与えてしまう。
 「結局、誰を診たのですか?」
私は、もう薬剤師が帰ってしまうと分かりながらも、顔を挙げて薬剤師に訊ねる。
 「聞くまでも無いわ。いずれ分かるでしょうから。…それに、貴女の主人から言われている以上、私は教えるつもりはない。例え、それが時間稼ぎにすらならないと分かり切っていてもね…」
そう言って、薬剤師は飛び去ってしまった。来た時に差していた傘を持たずに。
そんな様子からして、この館の空気が今や普通では無いと今更ながら思った。それに、その飛び去る背中は何処か逃げて行くようにも見えたから。やはり中で何か揉めたのだろう。傘を取りに戻らないことがそれを裏付けていた。
 
 
 
 
 
その時、私は気が付くべきだったのだ。
一日最低二回は、ここに咲夜さんが訪れていたのに今日は全くそれが無かったことに。
雨だから来ないとか、来客の対応に追われているのだとか、そんな理由付けすらすることを私は忘れていた。ただ純粋に、それに気が付かなかった。
 
でも、そんな鈍い私でも流石に次の日には何かがおかしいことに気が付いた。
そのきっかけは、私のいつもしている居眠りと言う些細な物だった。
何故かと言うと、私は門の前で堂々と居眠りをしていたと言うのに、咲夜さんに見つかって起こされなかったのだ。私は、自分で眠りから覚めるまで門前に立ったまま思う存分寝ていた。でも咲夜さんは来なくて、私は目が覚めるまで寝て、そして起きた時には、一瞬我が目と頭を疑った。
―――咲夜さんがいない。
―――自分で起きるまで寝ていた。
その事実に、私は驚愕する。それくらい、有り得ないことだったから。
咲夜さんが急にそんな寛容になる訳が無い。と言うか、あの咲夜さんが寛容になること自体が私には到底考えられなかった。
その上、白黒も来ないと来た。
だからその日は、私はずっと一人。でも私が感じたには寂しさだけでは無い。その時、私はすでにじわじわと不安を感じ始めていた。
 
次の日も同じで、咲夜さんは来なかった。唯一昨日と違うところと言えば、昨日は歩くことさえ困難にしていた泥濘の地面が、ようやく足元を気にせずに歩ける位に乾いている程度のモノだった。
そして夏の到来を告げるように、その日急に空気は湿っぽくなり、その日差しは照り付けるような強い物となった。そんな日差しを受けて、この前の雨で地上に降り注いだ雨水はすっかり干上がっている。
熱い日差しと気温のせいか私は、その日に立っていただけで汗をかいた。
 
そんな快晴と四季の分かれ目を目にして身体で感じても、私の心の中を覆う憂いは晴れない。
 
咲夜さんに何か悪いことが起きているかも知れない。時を経ることに不安と焦りばかりが募って、私は居ても立ってもいられなくなって来る。
門番の仕事すら手に付かなくて、風景すら楽しむ余裕の無い私は、事あるごとにその大きな館を眺めた。大好きなお花達の面倒すら上手く出来なかった。
 
 
その日の晩、私がぼんやりとしながらおぼつかない足取りで、館の周りを巡回していると、丁度差し掛かった裏口で何かが動くのを感じた。
誰だろう。私は今時裏口から館に侵入を試みる姑息な命知らずがいるのかと思い、音も無くその裏口へ向かった。多分、今の私は侵入を試みた者にも容赦は無いだろう。このどうしようもない苛立ちを、例えそれが若く愚かな人間だったとしても、際限なくぶつけるつもりだった。
 「こんな夜中に、どなたですか?」
私はその動く影のすぐ背後に立つと訊いた。
相手は、私のその一言だけでピタリと動きを止め、恐る恐る私に振り返ると私の顔を見る。
 「あ、貴女…」
その私を見た相手は、パチュリー様の使い魔だった。重そうな分厚い一冊の書籍をしっかり両手で抱き抱えて、真逆私に見つかるとは予想していなかったのだろう、その顔は驚愕していた。
 「美鈴さん…」
使い魔の少女は呟く。その手が強くその書籍を抱き締めていた。
 「こんな所で、しかもこんな時間に何をしているの?」
私は裏門の前に立つと、使い魔の少女を見ながら尋ねる。すると、その少女は私のことを見上げると小さい声で
 「霧雨魔理沙さんの所に行っていました…」
そう言って、その大きな書籍を自分の胸の前に添えると、その難解な字で書かれたタイトルを私に見せる。さしずめ、この本も盗まれた物の一つだったのだろう。その色褪せた保存状態の悪さから、盗まれたのがいかに過去のことか私に想像するのは容易い。
 「で、それだけを返して貰ったのね」
私の言葉に使い魔の少女は黙って頷いた。
でも、それはおかしい。返すならまだしも、何故白黒はこれだけしか返さなかったのだろう?折角なのだから、まだ他にもある膨大な量の盗んだ本も返せばよかったのに。
 「そう。貴女かパチュリー様が頼んだから、かしら?」
ならこれしか理由が思い浮かばなかった。遥々瘴気溢れる魔法の森まで出向いた理由がこんな古びた書籍一つだけ。きっと、これはそれくらいの価値のある物なのだろう。
 「はい。とっても大事な本です」
使い魔の少女はそう言って、重そうなその書籍を抱え直す。
 「そう。偉いわね。引き留めてごめんね」
私は、自分がそんな自分の主のために一生懸命な従者を引き留めてしまったことを悪く思い、軽く謝ると裏口の前を退いた。
 「いえいえ…。それでは」
 「あ、そうだ」
私は重大なことを思い出して、その歩き出した使い魔の少女の袖口を軽く掴んで引き留める。そして、それだけで少女の動きが途端に止まった。
 「何ですか…美鈴さん?」
平静を装いながらも、その目許は強張っている。やはり何かが変だ。こんな時間まで、わざわざ私の目を誤魔化してまで、裏門を通らなければならない程のことをしていたのだろうか?
それに彼女は鍵を持ってはいなさそうだった。多分、何かで解錠しようとしていたのだろう。何故そんな風に想像したかと言うと、裏口の鍵を持っているのは、私と咲夜さんだけなのだ。
 「なんで裏口から勝手に出入りしたの?使用人でも、許可が無い限りは正門を出入りするのが掟なのに?」
私は、近くまで歩み寄ると問い詰めるような口調で質問した。
 「ごめんなさい…。でも、どうしても急いで行きたかったから…」
 「なら、なんでわざわざこんな私の目を盗むようなことを…?」
 「……」
私の問に、使い魔の少女は黙ったまま俯き、答えようとしない。裏口から行くにしても、正門から行くのとは大して変わらない気がしてならない。だって別に時間の短縮が出来る訳でもないのだ。彼女が裏口から行くことの意味は別にあるに決まっている。
 「ねえ、やっぱり何か館の中で起こっているんだよね?そうなんでしょう?」
こんな様子では、館の中で起こっていることを知っているだろうからついでに館の中のことも聞いてしまおう。私は、使い魔の少女の肩を掴むと低く、けれど強い口調で聞いた。
 「い、いいえ…」
使い魔の少女は、私の必死さすら滲ませた問いを、首を振って否定した。
その様子を見て、私は自分の中でずっと抑えつけた苛立ちが、明確な形を帯びて湧き上がって来るのを感じる。
 「そんな訳、無いじゃない。…私に隠すつもり?」
私は、使い魔の少女の細い肩を掴む手に力を込めながら聞いた。私は、彼女が教えるまでは、私はこの少女を返さないつもり。
 「な、何も隠していません…」
少女は、私の顔を見ようともしない。この期に及んで…。こんな使い魔の少女すら知っているのになんで私だけ?私はいよいよ苛立ちが形を変えて、本格的にこの少女を含めたそんな館の状態に怒りに近い物を抱く様になっていた。相変わらず忠誠心に揺るぎは無いのだけれど、そんなことを抜きにして、尚更その忠誠心に肩透かしを食らった気分だったから。
 「嘘言わないで!!じゃあ何で咲夜さんはこないのよ?!私が何も気が付いてないとでも?!なんで貴女が知っていて、私が知ることが出来ないのよ!!」
八当たりに近い怒りに変わった。私はそれに任せてそのか細い肩を揺らしながら聞く。
 「嘘なんか付いていません…本当です…」
私の怒りを受けながらも少女は認めようとしない。私はそんな目の前の少女についに明確な怒りを覚える。
 「嘘よ!!じゃあ、なんで私の目を盗んで裏門にいるのよ!!」
私は少女の肩が、小さく震えているのを無視して怒鳴り付けた。
 「…本当、です…」
使い魔の少女は俯いたまま呟く。
 「そんな話信じないって言っているじゃない!!私の話聞いているの?!」
私は必死だった。この機会を逃したら、もう知る機会は訪れない気がしたからだ。それに、この目の前の少女が何を言おうと、私は強引にでも答えを聞き出すつもりだ。
 「……」
でも、そんな感情は私の使い魔の少女を考えられなかった身勝手な物。
使い魔の少女は、黙って俯いたまま涙を瞳から落とした。私は、その様子を見た途端、潮が一気に引いて行く様に、自分の怒りが何処かへ消えてしまうのを感じる。
 「あ…」
私は、掴んでいた手を離す。そして、冷静になり自分が使い魔の少女にした行為を見直した時、とてつもない罪悪感が私を襲った。
使い魔の少女は、私に開放されても立ち尽くしたまま泣き続ける。
 「ごめん、なさい…つい…」
私は、謝罪の言葉すら上手く思い浮かばない程、先程のやりとりと、現在の状態で混乱していた。なにより、泣かせてしまったことに寄ることが大きかったから。
 「……」
彼女なりに何か考えたのだろうか、それとも今や私に言いたい事すら無くなったのか、使い魔の少女は首を振った。その動きだけで涙が滴り落ち、痛々しい。そんな様子がさらに私に罪悪感を与える。
 「取りあえず…。もう、いいから…」
私はこの罪悪感に耐え切れずに、そう言って裏口の鍵を開けた。使い魔の少女は黙って俯いたままその開け放たれた裏口の中に、相変わらず書籍を抱き抱えたまま入って行く。
 「…ごめんね。本当に…」
私は、最後にその背中に向かって行った。返事は返ってこない。覚悟はしていたけれど、私は心の中で自分に対して狼狽した。私は何て愚かなのだろう、と。
使い魔の少女の背中が見えなくなった。でも、私はそれでも裏口を閉じなかった。静かに佇んだまま再び館の明かりを見つめる。
その窓の中から発光される明かりは、闇の中、キラキラと宝石を散りばめたように煌き、館の存在を闇の中で際立たせている。多分、この湖の向こうの畔から眺めたら、見た者はそんな館をさぞかし美しいと感じるだろう。
でも、そんな身近だった明かりは今私に無力感を感じさせるモノの何物でも無い。
―――勝手に入ってしまおうかな?
もし咲夜さんに見つかったら?多分半殺しにされるよね。勝手に持ち場を離れたのねって。でもそれでもいい。
あの咲夜さんの存在を確認したいから。それだけを叶えたい。だってそれは、今の私にとって大きな意味を為すから。
そして、明日からまた笑い合いたい。咲夜さんの笑顔が見無くなる方が嫌だから。今夜侵入したことで凄く怒られても、明日一杯お仕事を頑張ればきっと咲夜さんも許してくれるだろうから。
そしたら、きっと驚くだろうなあ…。でも、そしたら私は何事もないようにそれがごく当たり前の様に笑って振舞おう。そうすれば咲夜さんもいつも通り私に合わせてくれる。
 「よし…」
私は、その裏口の中へと入った。そして、その裏口を内側から閉じる。大丈夫、少しだけ。咲夜さんの存在を確認したら、すぐに戻ればいい。
私は決心を決めて、館へ向かい走った。
 
 
 
 
 
やっぱり館の中の空気はおかしかった。私が知らない間に、妖精メイド達まで狩りだして外を巡回する歩哨役の妖精も増員されていたし。お陰で、いくら妖精とは言ってもそんなに居たせいで、飛行したり立ち止まっていたりして警戒している彼女達の目を誤魔化して館の中に侵入するのは、容易では無かった。
館の中も同様に、妖精が定期的にあちこちを巡回していて、目が妖精らしく無い、主からの命令を遵守するような物に彩られていた。
 
でも、どんなに警備を厳重にしても、どれだけ本気になろうとも咲夜さんの部屋の近くまで来れたのは、やはり所詮は妖精と言ったところか。私は今、咲夜さんの部屋の近くの廊下の角の影で、ドアの前に立つ六体の妖精メイドの会話を盗み聞いている。
会話の内容から咲夜さんの様子は分からないけれど、間もなく彼女達がこの場を離れることは分かった。
そうすれば、この部屋の中の様子も探れるかも知れない。勝手に侵入するのは流石にどうかと思うから、少しだけ扉の隙間から覗き込んで、そして咲夜さんが居たら、すぐに逃げよう。多分無理だろうけれど。
 
 
しばらくすると、妖精達が動き始めるのが分かった。その妖精達は、幸いこちらには来ないで、反対側の通路へと歩いて行った。私は、それでホッと胸を撫で下ろす。こっちに来たら天井に張り付くつもりだったけど、いかせんそれは身を隠すのに無理があった。この廊下の天井は狭い上に、天井は高くは無い。いくら妖精でも、気が付かないとは限らないだろう。
私は、慎重に角から横顔を出して咲夜さんの部屋の前を確認する。
そこには、誰も居なくて私は再び安堵した。そして、足音を出さないように、細心の注意を払いながら、その扉の前に立った。
 「……」
私は深呼吸をする。そして、これ以上の緊張を押さえて扉のノブに手を掛けた時だった。
 「そんなこと出来る訳ないじゃない!!!!」
扉の向こうの激昂する主人の声がして、私は慌てて手を引っ込める。
え、何でお嬢様が…?私は、ドアノブを取ろうとした右手を違う方の手で包みながら、そんな予想外の事態に唖然とした。もしかして、咲夜さんが怒鳴られているのだろうか…?それは、あまりに考えられない事態だ。でも、もしそうだったら、何故呼び出さないでわざわざ咲夜さんの部屋まで…?
 「じゃあ、他にどうするって言うの…?もう、この方法しかないのよ…」
扉の奥からパチュリー様の声がした。どうやら、相手はパチュリー様だったらしい。でも、肝心の咲夜さんは何処にいるのだろう?勘を頼りに来たから、やっぱり違うところにいるのかな?
 「まだ…、まだ他にあるはずよ!!薬が使えなくたって、きっと何かが…」
でも、お嬢様の態度はいつものは全く違って、凄く取り乱していた。私は、そんなお嬢様に驚きを感じ得ない。
 「もう、他に有効な手が浮かばないのよ…。妖怪にするしか…」
妖怪…?
一体誰を妖怪に?私は扉の前で立ち尽くしたままその話を聞く。
 「そんなので、助かっても咲夜が喜ぶと思う?!薬は効くのに使えない訳がないわ!!!」
私は、その言葉に耳を疑った。咲夜さんを妖怪に…?薬が使えない…?一体咲夜さんに何が起こっているの…?
 「だから、そんな劇薬は体力的に無理なのよ!」
パチュリー様が叫んだ。そして尚もその言葉は続く。
 「もう身体が持たない程衰弱しているの!!今だって永遠亭の薬で生き長らえているのに過ぎないのよ?!」
私は、その言葉を聞いて頭の中の今までの思考が吹き飛んだ。
咲夜さんが…。そんな…。
私の目の前が暗くなった。そして、私は床に崩れ落ちる。私が知らない間に咲夜さんが危篤になっていた。その事実は、理解したくもないのに勝手に頭の中に入って来て、私は頭を振ってその事実を振り払おうとする。
 「じゃあ、このまま何も言葉を交わせないまま咲夜は死ぬの?!そんなの嫌よ!!」
でも、お嬢様の悲痛な言葉がそれを許さなかった。ついに、それは私に現実として突き付けられる。
私は、廊下にへたり込んだままその話を聞く。そんな事実なんてもう知りたくもないし、聞きたくも無いのに。逃げ出してしまいたかったのに。
なのに、身体が動かない。お互いの口論が嫌でも頭の中に響いて来て、泣き出したくなる程に嫌だったのに、私は耳を塞げなかった。
こんな事実を知りたいから私は来たんじゃ無い…。私は、あの大切な上司の咲夜さんの様子を知りたかっただけなのに…。なのに、私が知った咲夜さんの様子はそんな危篤状態。もうあの人と言葉を交わすことは出来ない。
不思議と涙は溢れて来なかった。虚無感を感じている訳でも無ければ、むしろ色んな物が心を掻き乱しているのに。
大切な人で、涙を流せないことの方がずっと辛さを感じさせていた。
永遠亭の人達が来た時に、なんで気が付かなかったのだろう。この館に医者を必要とするのは、唯一の人間である咲夜さんだけなのに…。
 「私だって…」
パチュリー様の寂しい声。
 「…待って」
だけど、次の瞬間その声は落ち着きを帯びた物に変わる。
 「何…?」
お嬢様は呆けた声で聞いた。でもパチュリー様が答えることは無く、代わりに私の目の前の扉が開いた。
 「美鈴…貴女…」
パチュリー様の声。でも、予想は付いていたらしい。その声は驚いていたけれど、驚愕と言うまででは無かった。その瞳はへたり込む私を見つめていた。
 「何で、ここに…?」
お嬢様も唖然とした様子で、私を見る。その紅い瞳の周りは赤くなっていて、長い時間泣き晴らしていることを物語っていた。
 「何で…、何で隠していたんですか…?」
私は、すがるような目で言う。
私の言葉に二人は私から眼を背けた。私はそれでも続ける。
 「咲夜さんが死ぬなんて…。嘘です…そうですよね…?お嬢様…パチュリー様…」
私はへたり込んだまま二人に擦り寄ると聞いた。でも、二人は答えない。
 「何で、答えないんですか…?…嘘だと、そう、言ってください…」
私の声は震えていた。私は二人に擦り寄り、すがるような目で見る。なのに、そこまでして聞いても二人は答えない。お嬢様は俯き、パチュリー様はひたすら悲痛な表情だった。私はその表情が差す意味を知った。
―――咲夜さんは助からない。
二人の様子がそう物語っていた。
それで私は、ついに喉が詰まり言葉が出なくなった。もう、何が何だか自分でも分からない。咲夜さんが死んでしまうことすら、訳が分からなかったのに。
不意にお嬢様が耐え切れず私に歩み寄り、そんな壊れかけの私の手を取った。
 「美鈴…」
その時、再びお嬢様の目頭に涙が滲んだ。そして口を開く。
「いきなり倒れたのよ…。それ以来起きていないの…もう、二日間も咲夜と話して無いの…」
そう言うお嬢様は、私が見たことが無い程追い詰められていた。恐らく、ずっと咲夜さんに付き添っていたのだろう。目の下には、うっすら隈すら浮かんでしまっている。
 「何で、隠したんですか…」
私はお嬢様が辛いことを知っていながらも、聞いた。もう気を配ることが出来ないから。それ位、今の私には余裕が無かった。
 「咲夜なら、美鈴の悲しみ苦しむ姿は見たくは無いだろうから…。きっとそうよ…だって、咲夜は美鈴のことを良く気にしていたもの…私の前でも。物鬱げな表情な時は、いつも貴女のことを考えていたんだから…」
そう言って、お嬢様は私の手に頬を擦り寄せる。そして、私に対して信じられないことを呟いた。
 「なのに、それで逆に貴女を辛くさせただけだったわね…。ごめんなさい…美鈴…」
そう言って、お嬢様はその紅い瞳に涙を溢れんばかりに溜めた。そして堪え切れなくなったのか、私の胸の中へ飛び込みそのまま身体を預ける。
私は、お嬢様の言葉が信じられなかった。でも、そんなことを言ってしまう位に、お嬢様はこの二日間でいろんな物を溜め込んでいたのだろう。どんなに混乱していても私には、それがありありと分かった。
だから、私はその震える小さな身体を受け止める。今やお嬢様にはこんな私くらいしか、悲しみのやり場の相手は居なかった。
私も、それは同様。なのに、泣きたいのに、涙が流れて来ない。
 「お嬢様…」
そんな私の目はひたすら虚ろだった。
そして、しばらくお嬢様を受け入れた後、お嬢様はやがて私から離れた。
 「門に戻って美鈴…。ここに居ても…もう、何も変わらないから」
お嬢様は立ち上がると、そう言う。
 「せめて、咲夜さんを一目だけでも…」
私は懇願する。でも、お嬢様は首を振った。
 「咲夜が、自分の前で貴女が悲しむのは見たく無いはずよ…。だから…」
 「じゃあ私は最後まで咲夜さんに会えないんですか?!」
私はお嬢様の手を握り絞めると言う。
 「違うわ…。最後にはちゃんと…」
お嬢様はそんな私の言葉に、言い聞かせるように言う。でも、私はその言葉を信じられ無くなっていた。またお嬢様は、私に隠そうとするに決まっている。私は涙こそ流していないにせよ、確実に悲しみでおかしくなっている。主人に無礼一つすら働いたことが無い私だけれど、この時は本当に主従関係など頭に無かった。
 「嘘です!!合うだけで良いんです、お願します!!お嬢様…!」
強くその手を握りしめながら私は叫ぶ。ただ、咲夜さんに一目会うだけなのに…。私はそれだけを叶えるために一所懸命だった。
 「ごめんなさい…」
お嬢様が目を伏せて言う。パチュリー様が私の隣に立った。
 「レミィの言う通りよ…。美鈴…」
そう言ってパチュリー様が、私の頭の上に手をかざした。
―――眠らされる。
私は、咄嗟にそう判断した。そして、お嬢様の手から自分の手を離して、開け放たれた咲夜さんの部屋の扉の中へ入ろうと、足を構えた。もう、強引にでも会うつもりだった。咲夜さんが生きているうちに、なんとしても会いたい。そう願い必死にその場を逃げようとする様子は、一目散に逃げ出す動物すら連想させる。
でも、パチュリー様の方が圧倒的だった。私は走り出した途端に、強烈な眠気を感じてそのまま床に走り出した反動もあってか、その部屋の扉に激しく身を打ち付けた後、ずるずると扉の前に身をもたせて崩れ落ちる。
 「う…」
身体が動かない。
後少しだったの…。なのに…。
私は、暗くなる意識の中、咲夜さんにすら会うことを叶えられない自分の無力さを呪った。
 
 
 
 
 
 
私が目覚めたのは、もう夜も深い所だった。多分、あの時に私がパチュリー様によって掛けられた睡眠魔法は、随分と軽い物だったのだろう。私が妖精メイドに運ばれて門の前に来た時には、もう私の意識は現実に戻っていた。
返ってここに戻されて良かった。最後に咲夜さんに、持ち場を離れて勝手に行動した挙げ句に、無様にベッドに横たわる姿を見せずに済んだのだから。
 「……」
私を運んだ妖精メイド達は、皆私に言い様の無い同情の視線を投げかけると館の中に戻って行く。多分、私は咲夜さんが息絶えるまでもう、館の中には入れないだろう。
 「何で…」
私は、一人になった途端、先程まで溜め込んでいたモノが、透明な儚い液体となって瞳の奥から流れだして来るのを感じた。
 「何で私は…咲夜さんに逢えないの…」
私は、咆哮することも無く地面の草を掴みひたすら涙を瞳から滴り落とす。
悲しみは私を引き裂こうとして、それ故私は吐き気がする位の胃痛を感じていた。
 「私が門番だから…?館の内部に関われないから…?」
自分の喉の奥から嗚咽が込み上げてくる。私の中の自分の戒律。今、唯一守れていたその一つすら私の中で崩れ落ちた。
今までは、孤独すら感じてもそれを失わなかった。
私に取って、お嬢様は唯一無二の最高の主人だったし、パチュリー様こそ魔法使いとしてもっとも高位なる存在だと思っていた。そして、咲夜さんは、私の敬愛する自慢の上司だった。使い魔の少女も、あの勤勉さには感心していた。
私は、こんな最高の住人達のいる館で門を守る役目として働けることに、大きな誇りを感じていた。
なのに、今は…。
私は、そんな皆から最悪な隠し事をされていた。
 「酷い…こんなのあんまりよ…」
私は声を挙げて泣き始める。
咲夜さんと別れなければならない。そして、最後まで咲夜さんに逢えない。
そんな残酷な運命は、咲夜さんのナイフよりもずっと鋭利で、私の心を冷たく、そして容赦無く切り付けた。
胸が痛い。こんな痛い思いをしたことなんて無かった。咲夜さんの与える痛みは、私を心配するが故の痛み。そんな暖かい痛みに私は慣れきっていた。
 
 
「―――あらあら」
背後から、落ち着いた声がする。
 「―――随分と打ちひしがれているわね。貴方」
その声は、地面の四つん這いになる私の頭上から聞こえた。
確認するまでも無く私は、反射的に振り返り様に横っとびに移動して、距離を取る。
 「こんな状態でも、生来の反応を失わないのだから、流石ね」
そう言って、感心する不意に開いた空間から身を横にして優雅に身を乗り出す女性。私は、涙に濡れた頬と目を拭うこと忘れ、殺気立った表情でその声の主を見る。すると、私の様子に気付いたのかその女性は、暗闇の中でも良く見える笑顔を私に向けると、その開いた空間、もとい隙間から傘を差すとゆっくりと降りた。
 「そう警戒することも無いわよ。私は、門番の貴女に用事があって来たんだから…」
そう言って、優雅に私に歩み寄るソレ。ああ、この顔と雰囲気には少しだけ見覚えがある。確か、私達がこの幻想郷に来て少しした後、お嬢様を超える圧倒的な力で、我儘に暴れまわるお嬢様を制圧した後に、何故か館に来たことがあった。
あの時、確かお嬢様に何か提案を持ちかけに来たらしいけれど…。私はその時、訪問予定者では無かった為に迎撃したのだけれど、全く勝負にならなかった。しかも、その時のスキマ妖怪は本気すら出していないのに、フランお嬢様よりも桁違いの強さだった。私は最後まで全力で挑んだために、その時は半殺しにされた。
 
 
 「―――八雲紫、様でしたっけ…?」
 
一応、様付をする。桁違いに目上の方だったから。
 「ええ、そうよ…。確か貴女は…」
そう言って、う〜んと考える素振りをそのスキマ妖怪は見せた。
 「ああ、紅美鈴だったわね」
私が門番で構いません、と言おうとして口を開くとスキマ妖怪はそう言った。
…何故私の名前を知っているのか?
 「そうです。それで、御用は何でしょう…?」
私は門の前に立って、理由の分からない微笑みを顔に湛えるスキマ妖怪を見ながら聞いた。悲しみは消えてはいない。けれど、もしこのまま打ちひしがれ続けていたら、こんな危険な大妖怪に対して門を開けたままにしてしまう。
 「ええ、確か貴女の館のメイド長が大変らしいじゃない…?」
私は、その無神経とも取れる問いに、眉をひそめた。
 「何で貴女が…」
私が咲夜さんの悲劇を笑顔で聞かれたことに、あからさまな怒りを面に出して言う。
 「隙間から覗かせて貰ったの。貴女の泣き叫ぶ主人の姿もね…」
そう言うスキマ妖怪は、相変わらずの笑い顔。殺されてもいい。今ここで一泡食わせてやろうかな…。こんなのに敬愛する相手と、主人の悲劇を語られたく無かった。
 「あら、私に対して不快感を抱いているようね…。まあ、いいわ」
私の溢れんばかりの殺気を感じて、スキマ妖怪は微笑みを少しだけ軽減して
続いて私を見た。
 「……」
私は、拳を握り締めたまま黙ってスキマ妖怪を見つめた。スキマ妖怪は、笑顔を消して「これだから、武闘派は苦手なのよねえ…」と溜息を吐いて言う。
それから、私のすぐ近くまで歩み寄る。私はそれでもその場を直立不動のまま動こうともしない。誇りは失っても、この門を守る使命と任務は失ってはいないからだ。
 「ねえ、貴方はそんなメイド長の命を救ってはみたくない?」
スキマ妖怪は、そんな有り得ないけれど、私が一番望んでいることをサラリと言う。私は、何だか自分が試されている気がした。なら、いい。試されてみよう。
 「ええ」
私は、隙を見せないようにと、ただそれだけを答える。
 「貴女、私の能力が何かご存知かしら?」
すると再び満足したように、スキマ妖怪は笑みを向ける。
やはり、この笑みは見ていて嫌だ。まるで、自分の心の中を見透かされている気がするから。
 「いいえ。知りませんよ」
私は、語数こそ増えても、ひたすら単調な声で答えた。
 「ふふ…。なら、教えてあげる。…私の能力はね、ありとあらゆるモノの境界を操作することが出来るのよ。例えば…、こんな風にね」
そう言って、スキマ妖怪は私の頭上に隙間を開いて見せる。驚かすつもりだろうか?でも私は、それ位でこの場を退いたりはしない。脅しでも無いのだろうけど、私は相手の真意が読み取れないまでは、どんなことがあってもこのスキマ妖怪には、自分の心の隙間を少しも見せないつもりだ。
 「それで…?」
私は問う。だから何?とばかりに。
 「つまり、貴女の敬愛するメイド長をこれで救えるんじゃないかしら?彼女が陥っている病気と、それに相対する健康の境界を操作して」
そう言って、スキマ妖怪は私の目を見た。その私の目を見据える瞳の目許は笑っていても、薄く開く瞼の奥は、しっかりと私を射抜いていた。
私は、答えられない。何故なら、その隙間妖怪の意見があまりに実現可能な提案だったから。
 「そんな、こと…有り得ません」
私は、そんな深意を悟られまいと言う。でも、そんな私に出来た心の隙間を、目の前のスキマ妖怪が逃すはずが無かった。
私の背後に回ると、私の左肩からその顔を出した。
 「有り得るのよ…。ふふ…、信じたく無いだろうけれどね…」
そう言って、私の耳元でスキマ妖怪は囁く。
 「ホントに、出来るんですか…?」
私は前を向いたまま訊く。私の心の隙間は、もうすっかりこの妖怪によって占領されていた。そう聞きながら、そんな問いをする自分に嫌悪感を抱きながらも、咲夜さんの命が助かることに同時に期待していたから。
 「ええ、ただし条件があるけれど…」
スキマ妖怪は相変わらず囁きのまま私に言う。
 「何ですか…?」
首に掛かる吐息に、嫌悪しながらも私はその場を離れ無い。いや、もう離れられなかった。自分の身体に自由すら、取れなくなっているのか…。いずれにせよ、私は相手に優位を取られていた。
 「貴女の身体を、一晩だけ私のモノにさせてくれること。それだけよ…」
 「な…」
私は耳を疑う。こんな得体も知れない妖怪に、身体を売る…?冗談でも、それは嫌だった。何をされるか分かった物ではない。その上、人の悲しみに付け込んで来るなんて…。妖怪として最低だ。コイツには、お嬢様のような気品も紳士さの欠片も無いのだろうか。
私は、あからさまな嫌悪と怯えを抱いていた。
 「あら、嫌かしら…?」
私の心を抉るようなスキマ妖怪の言葉。それは、確実に私の心の中を侵食して行く。もう私は、それに抗することが出来なくなっていた。
 「…貴女は最低の妖怪です」
私は呟く。私はそう思ってはいても、断ることは出来なかったから。
 「ええ、いくらでも言って?でも、とても素晴らしいことよ?…貴女が私にその身体一つ差し出すことで、メイド長の命だけじゃない。貴女のお嬢様の運命も救える。幻想郷のメイド長と関わりのある住人が悲しむ定めも救えるのよ?それって、凄く『良いこと』だと思わない?」
その囁きは今や留まる所を知らなかった。そして、最早私もその『救える』と言う誘惑にあがなえ無くなっている。
私の脳裏に、咲夜さんの姿が浮かんだ。その咲夜さんは私を見ていた。いつもの機能的なメイド服を着て、そして微笑んで。
その咲夜さんを追想した時、私の中ではもう何も壊れるモノは無かったのに、確かに何かが壊れた気がした。
―――多分、それは私。
今までに積もりに積もったモノが、この「紅美鈴」を突き崩したのだった。
 「…はい。そうですね…。もう、私には咲夜さんしか、居ませんから…」
私は、俯くとそう言った。身体は波打つ程嫌悪していたのに、不思議と心の中は、もう抱かれてもいいと思っていた。
昨夜さんを救うため。その為なら穢れても良かった。多分、ここに再び戻った時、私は咲夜さんに触れることは許され無いだろう。
―――運命を変えたから。
―――穢れたから。
でも、咲夜さんが救われるならそれでも良かった。
 「ふふ…。じゃあ、…決まりね。ああ、折角だからメイド長に挨拶をしてから行きましょうか。今なら、吸血鬼も魔法使いも、皆寝静まっているでしょうから」
目の前に大きな隙間が開く。ここから入れと言う意味なのだろう。そう言うスキマ妖怪は楽しそうだ。そうだろう、同じ妖怪を自分の手で服従させたのだから。そして私を抵抗出来なくさせたのだから。
 「……」
 「どうしたのかしら?」
スキマ妖怪は、無言でその開いた隙間を眺める私に、入るように促した。
 
 
 
 
私は、スキマ妖怪に連れられて、抱かれる前にベッドの上に横たわる咲夜さんに逢うことになった。
そして今は、咲夜さんの部屋。その部屋は、カーテンの開け放たれた大きな窓から、白く少しだけ金色に輝く大きな月が覗いていて、その明かりが室内の床に窓枠を背に写っている。それは、まるでこの部屋に満ちる哀愁さを際立たせているかのようだ。
私は、その金色の輝きを帯びた床を、音も立てず踏みしめてベッドへ向かう。
咲夜さんは、その明かりから隠れるように室内のベッドの上に、その身体を静かに横たえていた。
 「咲夜さん…」
その暗がりの中でも、はっきりと分かるその綺麗な笑顔は眠っているみたいだった。顔は白くて雪の様だ。そんな咲夜さんは、もう永遠に眠ってしまったのでは無いかと錯覚させる。
 「…まだ、生きていますよね…」
私は、震えた声で恐る恐る布団の中に手を差し入れ、その細くもしっかりと引き締まった手を、優しく握った。
「―――温かい」
その手は、確かに温かかった。まだ、弱々しくてもその血流は止まる事無く、血管の中にしっかりと流れている。
まだ生きている。私は咲夜さんが生きているうちに逢えたことが嬉しくて、その手を両手で握ったまま頬に擦り寄せる。でも、やっぱり涙は流れて来なかった。
その代わりに私は微笑んでいる。咲夜さんの血潮を感じながら、その安らかな寝顔を見て。
死に際なのに、こんな素敵でそして穢れの無い咲夜さんの姿は、本当に瀟洒だ。いつも完全無欠な存在は、こんな時も苦しむ姿も弱々しい姿も見せてはいない。
 「咲夜さん…」
名前を呼んでみた。
咲夜さんは答えない。でも、だからこそそんな咲夜さんからは最後の生気を感じることは出来なかった。段々と命の灯が小さくなり、そして最後は何の前触れも無く、突然消えるのだろう。
私は、その手を離して壊れ物を扱うような手付きで、静かに布団の中へ戻すとその寝顔を見た。
 「私…必ず咲夜さんのこと、救ってみせますから…」
私は優しく笑いながら、その寝顔に語りかけるように呟く。
 「だから…」
その雪のような顔の頬を、私は静かに触れる。
私が、こうやって咲夜さんに触れることが出来るのは、もうこれで最後だったから。だから、私はその綺麗な肌に触れた。
 「もし、生き返ってくれたら…せめて、汚れたこの私に笑い掛けて下さいね…」
そう言って、私はその指先をゆっくりと咲夜さんの頬から離して、最後に小さく「ありがとうございました」と呟いて、薄くなっていた笑みを再び微笑みに戻した。
背後に隙間が開く。もう、時間だ。
あの月は、私がこれから行くところを照らしているだろうか?紅くない、見ていると悲しみすら感じてしまうあの月は。
でも、例え照らしていても私達が遠く離れることには変わりはない。
私は、最後に咲夜さんを見ると、その隙間の中へと消えた。
 
 
 
 
 「お別れの言葉は、述べたのかしら?」
 「はい」
今私は隙間を抜けて、もう一つの廃墟に近い小さな邸宅の前に来ていた。屋根瓦の間からは雑草が好き放題に生えていて、枯れて果てて最早雑草ですらなくなった枯草達も、その生きている雑草達に混じって生えていたり、雨風に打たれ続けたのか、瓦にこびり付いている。もう、建物自体が風化していた。
庭は、膝まで届く位の雑草が覆い尽くしていた。当然だけど、中からは全く人の気配はしない。
 「いいところでしょう?」
スキマ妖怪が、そう言って笑い掛ける。私は、その横顔すら見ようともしない。
 「ええ、凄くぴったりの所です」
本当に、今の私にはお似合いの場所だった。愛する人の為に身体を穢すのだから。こんな場所でも、もう構わない。きっと、スキマ妖怪もここなら人の目を盗む必要も無く、好きなように私の身体を貪ることが出来ると考えているから、ここに決めたのだろう。
 「じゃあ、行きましょうか」
スキマ妖怪は、そう言って雑草を掻き分けることも無くその庭の中を歩いて行く。私も、黙ってその後に続いた。
大して広くない庭だったので、玄関に着くのはあっと言う間だった。スキマ妖怪はその扉を開き中へと入る。私もゆっくりと、その邸宅の中に足を踏み入れる。
中はひたすら暗くて、何にも家具も小物すらも存在しない。こんな深い森の中、こんな不気味な所でわざわざ一晩明かす者が、今の私達に意外に何処にいるだろうか。そう思う位に、邸宅の中の空気は淀んでいて不気味だった。
 「ここは、結構気に入っているのよ?」
なのに、目の前の妖怪はそんなことを言う。
私達が歩く度に、オンボロな床が軋みを立てた。
 「ここは、何かに使っているんですか?」
その言葉に嫌な感じがして私は、ついそんなことを聞いてしまった。
するとスキマ妖怪は、振り返らずに「ええ、そうよ」とだけ答える。多分、人に言えないことなのは、そう言うスキマの口調で容易に予想が付いた。
スキマ妖怪は、一つの襖の前で止まった。そして、振り返って私を見ると
 「ここよ。さあ、入りましょうか」
とだけ言って、襖を開いた。
私は、その開かれた襖の中へと入る。
その部屋は、全面畳張りだった。
ずっと洋館である紅魔館に、お勤めしている私にとってそんな畳は珍しい。この足に伝わるざらざらとした感覚は、私がこれからこの妖怪に抱かれるんだなあ、と言うことを実感させた。
部屋の隅にあった燭台に火が灯される。その明かりが、ぼんやりとオレンジ色の光で室内を照らした時、私はすでに、この部屋の真ん中に布団が敷かれていることに気が付いた。
 「準備が、いいんですね…」
私がそう言うと、スキマ妖怪はクスッと笑った。そして私の前に立つと
 「ええ、当たり前じゃない。これから貴女の素敵な体を抱くんだから…。待ちたくは無いわ」
そう言って、今度はクスクスと笑った。その後に布団の横に立つスキマ妖怪。
 「…じゃあ、脱いで貰えるかしら?」
燭台の明かりを背にしているから表情は見えない。でも多分相変わらず笑っているのだろう。声がさっきまでと違って、艶を含んでいた。
もう、後戻りは出来ない。私は襖がスキマ妖怪によって閉じられてもいないのに、勝手に閉じていたことに気が付いた。
 「…分かりました」
私は、スキマ妖怪の言葉にそう答えて、スキマ妖怪に背を向けて静かにチャイナ服を解き始める。
私の背後からも、布同士が擦れる音がした。あのスキマ妖怪も脱いでいる。
別に他人に裸を見られるのは初めてではない。ただ、その着衣を解く手が何故かゆっくりなのは、こんな自分に関係の無い相手に裸を見せることの抵抗だろうか。
 「終わりました」
下着姿になると、そうスキマ妖怪に背中を向けたまま襖に向かって言う。
 「ええ…こっちもよ…」
そう言って、いきなりスキマ妖怪は私を背後から抱き締めた。
 「っ…!!」
その行為だけでも、悪寒が背筋を波打たせる。ああ、私は本当にこの女が嫌なんだな。
 「あら、身体が嫌がっているみたいね…。まあ、貴女には一切私を拒む権利はないけれど」
 「…なんでもいいです。早く終わらせて下さい…」
私は、スキマ妖怪の言葉に返す。するとスキマ妖怪は私から離れた。途端に悪寒が身体中から引いて行くのが分かる。私は、お陰で安堵することが出来て、ホッと息を吐く。早くやることだけやって咲夜さんを助けて欲しかった。そうすれば、これ以上嫌な思いもせずに済むし、私の身体が、この妖怪に予想以上に汚されずに済むから。
でも、スキマ妖怪はそんな生易しい考えは持ち合わせてはいなかったらしい。
 「あら、厭よ。そんなの」
そんな考えを抱いていた私の前に立つと、全体重を掛けて私を布団へと押し倒す。
あまりに突然のことだった。手慣れた感じすら、その時の私は感じた。
私は、突然押し倒されてしまったために、容易に身体の上に馬乗りになられることを許してしまう。
 「な…何を…」
私が、驚きで目を見開きながら聞くと、スキマ妖怪は艶やかに笑う。
 「貴女の身体を、隅々までじっくりと堪能させてもらう。その代わりに貴女の敬愛するメイド長を助けるのよ?」
そう言うスキマ妖怪は、私のことを見下ろして射抜くような瞳で私を見ている。
私は、言葉が返せなかった。だって、このスキマ妖怪が言う通りのことをしなければ、咲夜さんは助からないから。例え凌辱に近い扱いを受けたとしても、それを私は受け入れなければならなかった。
スキマ妖怪の片手が私の身体を、その怪力で押さえこんでいる。多分、ここで断っても無駄だろう。いや、断るつもりはないけれど。でも、もしことわったら、それこそ滅茶苦茶に犯されてしまう気がした。
「分かりました…。お好きなように、どうぞ…」
私は、小さく震えた声で言った。私は怖くなっていた。このスキマ妖怪が、私に何をするか分からないと言うのに、私はそれを全て受け入れることに恐怖を感じている。
 「ふふ…そうよ。貴女は抵抗出来ない。それに他人の命を救うのだから、それはとても『いいこと』なの」
スキマ妖怪は、それを耳元で呪文のように唱えながら、私の下着の中へ手を滑らせた。
 
―――ごめんなさい。咲夜さん
私は、その様子を見て呟く。
私は、自分が思った以上に穢れることになるようです。このままでは、貴女の笑顔すら見られ無くなってしまいます。
でも、私はその手を払え無かった。この手を払ったら咲夜さんが死んでしまうから。咲夜さんが消えてしまうから。
 
 
「―――あっ…」
私は声を挙げた。感じてしまう。こんな妖怪の手で。
その手は、下着の中に入り込んだまま私の胸を、まるで形を変えるかのように愛撫する。私は何の気持も無いのに、そんな一方的な物で愛撫になってしまう。
 「んっ…あ…うあ…」
私は息を吐くように、声を上げる。
 「感じているのね…。これから、もっと気持ち良くさせてあげる」
そう言って、下着の中の私の胸の突起を親指で擦った。
 「っ…あああっ!!」
そんな気持ち良くなるとかじゃない。きっと私を快楽に落ちて行くだけだ。気持ち良くなるだけで、私が穢れる訳が無い。
この快感に嫌悪しているのに、気持ち良くはなりたくなかった。
 「あら、私が嫌じゃなかったのかしら?」
クスクスと笑いながら、片方の手を下着に滑り込ませ、その突起を親指で擦りながら言う。
 「んああ…!!嫌、貴女なんて…あ、ふあっ…!!」
嫌なのに。だけど、私はどんどん快感に自分の身体が過敏になることが分かる。
 「…そう」
スキマ妖怪は、私の下着を胸から外した。
 「あ…」
私の胸がスキマ妖怪によって見られてしまう。私は、それに恥ずかしさよりも、屈辱感を味わった。
そして、その私の露わになった胸に、スキマ妖怪は舌を這わせた。そのザラザラした感覚が、まるで私に見せつけるかのように、肌の上を唾液で汚して行く。
 「ひゃ…いや…ああっ…それ、やめ…」
私は、ゾクゾクとした感覚を味わいながらも、言う。でも唾液とかが無くても、目の前の妖怪の手によって、私の身体は確実に汚されていた。
 「やあああっ!!!」
その舌が私の胸の突起を突いた。そのせいで、私はシーツを掴んで耐えなければならない程の快感を感じてしまう。私はもう嫌、と言え無かった。心の中ではずっと嫌だと、目の前の妖怪を嫌悪する気持ちはあっても、口からは出ない。
スキマ妖怪が、私の胸の突起にしゃぶり付いた。
 「ん…ひぅ…ぅ…」
しゃぶり付かれた突起が、そのザラザラした舌で先端を舐められながら、生温かい口内で転がされる。どんなに目の前の相手の愛撫に嫌悪を抱いたとしても、その巧みな舌使いによってもたらされる快感に、抗することは叶わない。
 「ん…ふふっ…」
私が、自分の意思とは反対に快感を覚えていることに、スキマ妖怪は私の胸の突起にしゃぶり付いたまま、満足げに笑った。
 「あっ…やめ、てぇ…気持ち、わるい…です…」
どんなに快感を感じても、嫌悪感は拭えないから。この肌に粘り付く相手の唾液と、そのべとべとした感覚は、気持ち悪さを感じる以外の何物でも無かった。
私は、布団の上で体を捩じらせて、その愛撫から逃れようとする。
 「…あら」
相手も油断していたのか、それによって一瞬だけその愛撫から逃れることは出来たものの、逃れたこと自体はあまり得策では無かったようだ。
スキマ妖怪は、私の身体を押さえ付けるように両手で抱き締めると、再び私の胸の突起にしゃぶり付いた。そのせいで、私とスキマ妖怪に身体が必要以上に触れ合ってしまう。
これでは、まるで恋人に抱かれているみたいだ。そう思った途端、そのせいで危うく嫌悪が背徳感に変わりそうになる。私は危うく落とされるところだった。
 「ああっ!!いや…離れてぇ…ああぁぁ…」
今の私には、相手を拒み続けることでしか自分を守れない。
この抱き締められているせいで、この勝手に上昇する体温に、相手は気が付いているのだろうか?だとしたら、私がこれに感じていることが分かってしまう。
だとしたら、言うだけ無駄。どんなに嫌がっても、それは頭の中で拒否しているだけで、身体はこんなにも勝手に熱く上気してしまい、この湧き出す奥の芯の熱さに私はもどかしさを覚えていた。
 「そんなに嫌なら…あのメイドに抱かれていることでも、想像してみたらどうかしら?」
不意にスキマ妖怪が、口を離して私を見ながら言う。
 「咲夜さんに…?」
私は横になったまま呆けた声で聞き返した。
咲夜さんに抱かれる…。ああ、そうだ。確かにそれなら楽かも知れない。
この指先も、触れ会う肌も全て咲夜さんのモノ。それはこの上無く魅力的な妄想。
 「ええ、そうよ…それならこんな嫌な行為も、好きになれるかもね…」
そう言ってクスクスとスキマ妖怪は笑った。
でも、私はその言葉と態度でそれが私に案を提案しているだけでは無い事に気が付いた。この目の前の相手は、ただ私を落としたいだけなんだ。落とそうと思えば、最初から無理やりにでも犯せばいいのだから。
きっと、この妖怪は私が咲夜さんに抱かれていることを想像すると言う、穢れた行為をしていると言う自覚と責務を忘れて快楽に耽るところが見たいのかもしれない。
 「嫌です…。私は、自分のしているこんな行為で満足感なんて覚えたくありませんから…」
少しだけ身を起して、私は自分の再確認出来た意思を相手に言う。口調は、あれだけ愛撫をされていたのに、何故かとてもハッキリした物だった。
 「…そう」
スキマ妖怪が、私の上に馬乗りになってそんな私をゆっくりと見下ろすと、口調も顔付きも先程と全く変わらない様子で静かにそう言った。
 「……」
私は、黙ってそんな相手を見上げる。
私は、こんな相手の余裕が一体何処から来るのか、本当に不思議だった。もし相手がお嬢様だったら、思い通りにいかない相手に対して怒り狂い一生のトラウマになる位、滅茶苦茶に凌辱されていただろう。
なのに、この相手は…。何故襲わない?私が逃げないと分かっているから?
私は、今や嫌悪感よりも目の前の優雅な笑いに対して、無気味さを感じ始めていた。
 「…なら、私が気持ち良くするしかないわね…」
スキマ妖怪は、体を私の肌に触れる位に下げるとそう言った。
 「…満足なんて、絶対にしませんから」
私は再び抱き締められて、その煩わしい触れ合う肌の感覚に顔をしかめながら言う。
「ええ、構わないわ。やっぱり、私が満足すればそれでいいのよね」
笑顔で開き直るスキマ妖怪は、やはりもどかしさやじれったさは微塵も感じてはいなかった。
そして、私が答えようと口を開くよりも早く、私の秘所に触れる。
下着越しに、その指先が私の秘所の形を確かめるように撫でているのが分かり、私は背筋を快感よりも早く悪寒が走るのを感じた。
 「う…んあ…あ…」
でも、それだけでゾクゾクした。
 「濡れているじゃない…。嫌?ふふっ…笑わせる…」
相手の指先が、秘所の何処かにグリグリと押し付けられる。そのせいで、ゾクゾクとした小さな波が散発的に迫り来るような快感が、明確な形を持った大きな波へと変わる。
 「ふあああっ!!やめええ!!」
私はその所在の分からない大きな快感に、身を捩じらせて堪えた。でも、スキマ妖怪は私のそんな動きすら封じるように、その身体を強く抱きしめる。その上、口は再び胸の突起に吸い付いた。今度は、口内で転がさずに小さく音をたててその口で、突起を吸い上げる。でも返ってそっちの方が、ずっと快感が強い。
下では、指で下着越しに秘所を責め立てられて、その上胸まで好きなようにされている。もう、これだけでも快感は十分過ぎる位だった。嫌悪感を快感が覆い尽くして、自分を維持出来なくなる。
 「だめっ…いや…あああっ!!!」
私が唯一掴める物と言えば、身体の自由が利かなくなったために、この私を抑え付けているスキマ妖怪の腕だけだ。
 「あっ…あああっ!!!ひゃあああ!!!」
屈辱だったけれど、だんだんと激しくなっていくその指使いに耐えるには、私には最早それだけしか方法が無かった。
グイグイと乱暴に下着越しに押し付けられる指のせいで、だんだんと私の秘所が訳の分からない液でびしょびしょに濡れて行く。口を付けて吸われなかっただけ、マシと言うものだ。
そしてそれは、改めて私の身体が快感を受けていることを意識させて、忘れかけていた嫌悪感を再び蘇らせてくれる。
 「うあああ!!!ダメッ…それ以上は、だめえええ!!!」
強く快感を覚えるようになればなるほど、その強まる快感に比例して嫌悪感はつのるばかりだった。その嫌悪感は、私を保たせてくれると同時に、必要以上に私に快感を覚えさせる。
 「壊れちゃう?」
クスクスと、スキマ妖怪が言った。その声は、白くなり始めた私の脳内に辛うじて響き渡る。
 「やああ!!!強く、しないでええ!!!ああああ!!」
私は、スキマ妖怪の腕に爪を立てて握り締めた。渾身の力を込めて。多分、力を振り絞っていたからいくらこんな相手もそれに痛みを感じるはずだろう。
でも、スキマ妖怪は目の前の私の身体以外、頭に無かった。爪がその皮膚に食い込んでも、全く意に介さなかった。
 「どうせ、満足出来ないなら…壊してあげる…」
スキマ妖怪は、もう笑ってはいない。真顔で私を見ていた。口調からも先程まで私に見せていた優雅さなど感じさせない。
 「いや…お願い…来ちゃいます、からああああ!!!」
スキマ妖怪が、私の秘所の突起を突いた。そのせいで、今までとは比べモノにならない程の快感が、私を襲った。
それでも、スキマ妖怪はそんな私の秘所の突起の場所を覚えたのか、下着の中に手を入れて、今度はぐしょぐしょに濡れた私の秘所の突起を摘み、刺激した。
 「あああああぁぁっ!!!…来るっ!!!!」
もう、限界。私の身体の奥から言い様の無い何かが溢れだして来て、私は切羽詰まった声で告げた。嫌だから止めて欲しいのか、単に訳が分からないだけなのか、私は自分が言った言葉の意味すら分からずに喘いでいた。
スキマ妖怪は、何も言わずにそれを聞いた途端に、さらに容赦無く私の秘所と胸を突く。そして、それが最後の大きな快感の波となって私の脳髄に届いた時
 「やあああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
私は、大きく喘いで嫌悪感を忘れてしまうほど激しく達した。
 
 
 
 
 
 「さて…」
スキマ妖怪が、乱れた布団の上で上気し熱く火照上がり、荒い息を吐く私の身体を横から眺めている。
 「……」
私は、自分でも感じたことが無い快感を、あまりに強く感じてしまったせいで、薄目を開けて燭台の光を受けて僅かに薄汚れた木目の見える天井を、何も考えることなく、ぼんやりと眺めていた。
 「次は、私…」
そんな放心している私のことなど、どうでもいいのだろう。さっき自分が気持ち良くなればいいと、このスキマ妖怪は言った。だから、これからそれを実行するつもりなのだ。
 「貴女は女よね…。ふふ…なら、素敵な物をあげる」
そう言って、スキマ妖怪は自分の下に穿いている下着の上に手を置いた。
私は、そのうち意識が戻って来て、身体を気だるげに布団の上で起こすとその様子をぼんやりとした目のまま見つめる。それでいても、いきなりそんなところに手を宛てている様子など見せられても、私にはそれが指す訳など分かるはずも無かった。
私のそんな視線を無視したまま、スキマ妖怪はその行為を少しの間、黙って続ける。そして少しした後に
 「門番の貴女は、これをみたことがあるかしら?」
そう言ってスキマ妖怪は手を離した。
 「…?」
私は、我が目を疑った。何故なら先程まで何でも無かった下着が、中から隆起をしていたからだ。
 「あら、驚いているのね。まあ、無理もないけれど」
スキマ妖怪は、自分の穿いていた下着を脱いでそれを私に見せた。
―――高らかに反り立つソレ。ソレは、私が今までの人生の中で殆ど目にしていなかったにせよ、最低限の性知識位なら何とか持ち合わせている私でも、一目見ただけでソレがどんな物が、はっきりと分かった。
 「でも…」
何で、女に生えているの?そのグロテスクな生殖器官が、女の子にあったなんて話は聞いたことが無いし、それにこのスキマ妖怪だって列記とした女性では無いか。
 「あら、勿論これからする行為も拒否出来ないわよ?」
スキマ妖怪は、そう言って微笑んだ。邪気しかない微笑み。相変わらず、生えていることが不思議で仕方無かったけれど、私はそのスキマ妖怪の言葉に黙って頷いた。
私はこれからされること分かっておきながら、もう断ることが出来ない。
逆らったら、咲夜さんは救っては貰えない。ここまで耐えたのに、今更そんな愚は侵す気など全く無かった。むしろ、これに耐えれば咲夜さんを救えるのだと思えば、これからするであろう行為も、楽に思えた。
 「…はい。何でも、お好きなように…」
こんな言葉を言ったのは、なるべく酷いことをされないようにと、抵抗する意思がないことを相手に伝えたかったから。
案の定、相手は私の言葉に満足げに頷き、私のいる布団まで歩み寄り、その隣に座った。
―――燭台の明かりだけの部屋。
本当はそんなオレンジ色の柔和な色に照らされたこの和室は、相手がこんなスキマ妖怪では無かったら、身体を重ねる場所としてはこれほど最適な場所は無かっただろう。
燭台の頼りない灯がゆらゆらと揺れる。それは、言葉とは裏腹に、未だに不安に揺れ動く私の心を暗示している様だった。
でも、その相手を選ぶことは、もう私には出来ない。咲夜さんに触れることすら、叶わないのだから。
もし、穢れまで背負ったのに、咲夜さんが救われなかったら?流石にそれは有り得ないと思うけれど、もしその時は、殺されてもいい。このスキマ妖怪に復讐しよう。誇りを失った私にとって、最早それ位の自己犠牲など軽い物だった。
 「じゃあ、咥えて貰えるかしら?その口で」
スキマ妖怪がそう言って、大胆に足を投げ出して私の前に座った。
モノは、私の目の前で高く反り立っている。
 「はい…」
私は、スキマ妖怪のところへ身を寄せて、座り込んだまま顔を下していく。
良く見れば見る程に、本当にグロテスクな器官だ。そして、変な臭いすら漂わせている。
 「……」
私は、それらのことに少し躊躇しながらも、何とか屈辱感に目を食い縛ってその器官の先を口で咥えた。
 「次は、舌で先を舐めなさい」
咥えた途端に、スキマ妖怪は命令するような口調で言った。
 「……」
私は言われた通りに、舌の先でその咥えたモノの先をちろちろと、舌の先で撫でる。口内で撫でているせいか、歯が当たらない様にこんな相手に対して一々気を配らなければならなかった。
 「ああ…そう、もっと咥えなさい…」
スキマ妖怪が、息を吐きながら感じている。私はそんな相手に対して、反感以外の何物でも無い感情を抱いた。本当に私も汚らわしいけれど、それ以上にこのスキマ妖怪の方が汚らわしい。好きでも無い相手の快感を、素直に受け入れられるなんて、考えられない。
 「……」
私は、言われた通りに深くそのモノを咥え込んだ。でも根元までは咥え込んではいないから、息は何とか出来る。
 「咥えるだけじゃ無いわ…。頭を動かして」
スキマ妖怪の片手が、私の乱れた長く紅い髪の頭に触れた。
こんな気持ち悪いモノを口の中で愛撫しなければならないなんて…。私は、逆らえないにせよ、心の中でそう毒づいた。
 「う…ぅ…」
苦しいけれども、私は仕方なく頭を上下させて口内全体でそのスキマ妖怪の、生やしたモノを愛撫し始める。呼吸が困難になって、私は頭を上下させながら小さく呻いた。
 「そう、よ…ああ、いいわ…久しぶりよ…こんなの…」
私が屈辱と嫌悪に耐えながら、モノを咥えているとスキマ妖怪は気持ち良さそうに言う。口を離せないために確認出来ないけれど、顔はきっと快感で歪んでいるに違いない。声は私の頭に向けて発せられていたから、きっと私のこの行為を見ているのだろう。
 「もっと…激しく、しなさい…ほら…」
スキマ妖怪の腰が浮いた。もっと私に激しく上下しろとばかりに。
 「んぐ…う…ううぅ…」
喉までモノの先は到達しているのに、これ以上激しくすることなど無理だ。なのに、私の頭に添えられていた片手は、今度は押しつけるように私の頭の上下運動を操作し始めた。
 「ほら…。メイド長が救えないわよ…?」
スキマ妖怪は私に、無理矢理激しく愛撫させようとしながら、そう言う。
私は、もうどうしようも無くなって、スキマ妖怪の言う通りに激しく頭を上下させた。口内を、その嫌なスキマ妖怪のモノが滑っている。もう、スキマ妖怪自身も腰を小刻みに動かしていた。それが相まって、私に呼吸が出来なくなる程に、スキマ妖怪のモノが上下する度に押し付けられる。
 「ああ…出そうよ…。いい、受け止めなさい…ね…」
スキマ妖怪が切羽詰まった声で言う。もう、スキマ妖怪にも余裕が無いのだろう。そう言う声には、もう優雅さの欠片も無い。
 「うう…」
私は、押さえ付けられているせいで、口の中に精液を流し込まれるのを知りながらも、スキマ妖怪のモノから口を離すことは出来なかった。
不意に、スキマ妖怪の両手が私の頭を掴み、動きを止めさせてモノを根元まで深く咥えさせた。 
私はそのせいで息が出来なくて、咥えたまま目を食い縛り顔に苦悶の表情を浮かべる。
「ああ…う…で、る…ああぁぁっ…!」
スキマ妖怪がそう言った後、喉の奥にとてつもない量の苦いどろどろした精液が吐き出された。
 「――――ッ!!!!!!!」
私は、手をじたばたさせてその押さえ付ける腕から逃れようともがいた。
スキマ妖怪は、それでも私の頭から手を離そうとはしない。それどころかその嫌な味のする変な液体を、私が口の中から吐き出そうとするのを止めるように、再びモノを押しつける。
私は、困難な呼吸に耐え切れなくなり、無我夢中でその口内に吐き出された苦くて嫌な味のする精液を、無理矢理喉の奥へと流し込んだ。
 「ゲホッ!!ゲホッ!!ウッ…!!」
その手から解放され、モノを即座に口内から吐き出した時、私は激しく咳き込んだ後に、咽返った。その苦しみのせいで、私の瞳には涙が滲んでいく。
身体を汚すばかりか、こんなことまでされるなんて…。いくらなんでも、酷いとしか言いようがない。
うがいをしたい。この舌と口に残る嫌な感覚を、全て洗い流してしまいたかった。
でも、それを目の前の猛獣が許してくれるだろうか?こんな咳き込み苦しむ私の姿を黙って見ているような、そんな最悪の相手が。
言うだけ無駄かも知れない。それに、これ以上機嫌を損ねたら、どんな目に会うか分からない。
 「美味しくなかったかしら?」
私がやっと呼吸を整え終えた時に、スキマ妖怪はそう言った。
 「……」
私は四つん這いになって呼吸を整えながら、コクリと頷いた。
すると、やがてスキマ妖怪はそんな私の元へと擦り寄り、四つん這いになって力無く呼吸を整えている私を、今度は布団へと仰向けに押し倒した。
 「次は、舌の口で咥え込んでもらうわよ」
私を押し倒して、その脚の間に体を割り込ませながらスキマ妖怪は言う。
ああ…、とうとう私の処女を奪うつもりなんだなあ…。股の間に割り込まれた時、私はぼんやりとした頭でそんなことを思った。
もう、嫌悪感も抵抗する気力も湧かなかった。だって、抵抗するだけ無駄だと言うことが分かったから。私が抵抗して、相手を拒むことに意味も意義も存在しない。
 「処女なのでしょ?少しは嫌がったら?」
スキマ妖怪は、私のびしょびしょに濡れた下着を脚から取り払い、自分のモノを露わになった私の秘所に宛がうと言った。
その硬い先が、私の秘所に軽く押し付けられた。私は、それから逃れようともせずに相手を見る。
 「もう、咲夜さんを救ってもらえるなら、こんな処女なんて別にいりません」
無感動な声で告げた。
もう、相手を受け入れてもいい。どんなに汚されてもいい。とにかく早く終わらせて咲夜さんを救って欲しかった。
 「そう。じゃあ、その処女を滅茶苦茶にしてあげる」
スキマ妖怪は、そう言って私の秘所に宛がっていたモノを、私の秘所のことも考えずに強引に押し入れた。
 「っ…!!」
予想通りの痛みだ。私の内壁の処女膜が引き裂かれようとしている。そして、身体の中に挿入される異物感とそれがもたらす痛みに、私は顔を苦痛に歪めた。
 「痛がっている、だけ?」
スキマ妖怪は、そう不満げな呟きを洩らす。
私は、その呟きに何も答えようとはしなかった。
すると、スキマ妖怪の眉が少しだけ動いた。私の態度に、何か思うところがあったのだろう。
―――不意に、私の中へスキマ妖怪のモノが一気に押し込まれた。
 「っああああ!!!!!」
そのせいで、私の処女の証は一気に裂け、激痛が私の下半身から全身へと回った。私は、その痛みに身体をのけ反らせる。その痛みは、それ位強烈な物。
 「処女卒業よ…おめでとう」
スキマ妖怪が、冷酷な笑いを顔に湛えながらそう言った。その瞳はどこまで冷たくて冷酷さを感じさせる。
さらにスキマ妖怪の指が、私の秘所に触れて処女膜を破られたことにより、流れだしたその鮮血を掬う。そして、その指先に着いた血を舌で絡め取るようにして舐め上げた。
私は、そこでやっと怖いと思った。引き返せなくても、このスキマ妖怪の残忍な行為は、私に恐怖心を植え付けるのに十分過ぎる。
 「…咲夜さん」
私は、ついに震えた声で咲夜さんの名前を呟いた。
 「怖い、怖いでしょう?そうよね…?」
それを聞いたスキマ妖怪がその手が私の顎を掴み、グッと引き上げる。そして、目の前にその冷酷に笑う顔が現れた。
 「…早く、終わらせて下さい…」
私は痛みに顔をしかめながら、震えた声で小さく言った。けれど、スキマ妖怪は何も言わず、代わりにガラ空きになった私の首筋や鎖骨の辺りを大きく舌で一舐めし始めた。
 「ひっ…いや…」
私は、それだけで痛みと一緒に感じてしまう。もう、一刻も早くこの地獄が終わることを祈るしか、私には出来なかった。
 「…だから、貴女が身体を私の好きにさせなければ、メイド長は救えないの」
―――でも、地獄の始まりはこれから。
スキマ妖怪の腰が、乱暴に打ちつけられ私が悲鳴にも似た叫び声を上げた時、私はそんな現実を直視することになった。
 
 
 
 
 
 
――――もう、どのくらい私の中に注ぎ込まれたか、正確な回数が把握出来なかった。
最後に思いっきり腰を私に打ちつけ、スキマ妖怪が最後に私に注ぎ終えると、彼女は脱力して私の身体の上に覆い被さって来た。
私は、もうどれだけの量を注ぎ込まれても、人形のように反応しなかった。多分、あまりに犯された回数が多かったから、下腹部の感覚が麻痺してしまったのだろう。処女膜を破られ、乱暴に突かれ続けた私の秘所は、もう痛みを覚え無くなっていた。
ただ、注ぎ込まれた精液が逆流しているのは分かる。
そして、私の身体はもう徹底的に犯され尽したと言う事も。
 「はあ…はあ…最高よ…貴女…」
先程とは打って違い、スキマ妖怪は私の身体の上で大きく息をしながら、満足げに囁いた。きっとやるだけヤッてもう十分だと思えたのだろう。それにしても、最高とはどう言うことなのか。私はただ犯されて涙を流しながら叫んでいただけなのに。
 「約束通り、境界を操作してメイド長の命は救ってあげる」
私は、その言葉を聞いて私の身体の上に乗り続けるスキマ妖怪を見た。
 「そう、ですか…」
私は、その言葉を聞いた途端に、瞳の奥から涙が溢れだした。その流れは止まることなく、次から次へと流れだしては頬を濡らした。
咲夜さんが助かる。それがやっと叶った。
もう、穢れてしまったけれど、その事実に私は安堵することが出来た。
また明日から、逢える。お嬢様も悲しまないで済む。私は、そんな皆の幸せで頭がいっぱいだったのかもしれない。
でも、笑顔は出なかった。何故なら、私は今まで積み上げて来た物全てを失ったから。門番としての誇りも、咲夜さんへの親しみも、全てを失った。
私は、誰かを救ったと同時に、自分が不幸を背負ってしまったことに気が付かいていた。だから、私には満足感も何も無い。
あるのは、この心にぽっかりと空いた虚無感だけだった。
 「これを飲みなさい」
何かの液体の入ったビンが、私の口に押し付けられる。
私は、躊躇う事無くその液体の入った瓶の中身を喉へ流し込んだ。
全てを忘れて、今は眠りたかった。明日、目が覚めたらきっと世界が変わって見えるだろう。でも、それは私がスキマ妖怪の申し出を受けたから。 
「今夜は、ここで休んで貰うから…」
スキマ妖怪はすっかり従順になった私を見て、満足げに笑いながら言った。
それにこの場から一刻も早く館に帰りたくても、体の自由がもう効かない。
明日、館に帰ったら何をしよう?
多分、いつも通りの業務をこなすだけだと思う。
唯一違うのは、私が私では無くなったこと。咲夜さんは、起きてから最初に私を見た時に気が付くだろうか?私のしたことに。
私の視界が、揺れる。あの薬は睡眠薬か何かだったようだ。
―――もし、咲夜さんが私にいつも通りに接して来たら、私は告白しよう。
 「私は汚れていますから」って。
でも、最後に咲夜さんの「えぇ、いいわよ。でもその代り、どんなに負けても門番の仕事に対する誇りは失わないでね…」と言う言葉が脳内で反響し、私の意識はそこで途切れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
門番の愛 ―――――――完―――――――
 
後編の「メイドの恋」へ続く
 
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